印南野いなみの)” の例文
彼女あれ播磨はりま印南野いなみのの出身であるが、親もなくて不幸ないやしい境遇にいるので、ついふびんに思って情をかけてしまったのだ。
そしても西に傾く頃、秀吉はここから三番貝を吹かせ、自身の床几場しょうぎばを城外へすすめて、海道口の印南野いなみのに移した。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この報告を受けた政府では、それなら播磨はりま印南野いなみのか、この摂津の昆陽野こやのかなどと公卿会議の席上でも討論されたが、実行に移されるとも見えなかった。
三草山をこえて、播磨境はりまざかいにはいり、印南野いなみのを南へ南へと下がってゆくと、やがて、馬蹄の下に、一ノ谷がのぞかれる。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
六三かれは播磨の六四印南野いなみのの者なるが、親もなき身の六五浅ましくてあるを、いと六六かなしく思ひてあはれをもかけつるなり。我に捨てられなば、はた六七船泊ふなとまりの妓女うかれめとなるべし。
あさろうと、丹波の鹿は播磨の印南野いなみのを越えて行くものでござります
次に中軍がつづき、羽柴秀勝は、養父秀吉の旗本たちより二、三町先に立って行軍し、後陣には、秀吉の弟秀長が将として続き、総軍一万は、五段になって、姫路城外の印南野いなみのを立った。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)