今川義元いまがわよしもと)” の例文
桶狭間おけはざま今川義元いまがわよしもとも敵をあなどって命を落したが、首はあとから返して貰ったし、もちろん鼻だってちゃんと首に附いていたことだ。
領主の織田信秀おだのぶひでと、隣国の今川義元いまがわよしもととは、両立しない二つの勢力だった。国境方面では、絶えずどこかで小競こぜり合いがあった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
駿河の今川義元いまがわよしもと、数万の兵を率いて織田信長おだのぶながを攻めんとせしとき、信長の策にて桶狭間おけはざま伏勢ふせぜいを設け、今川の本陣に迫りて義元の首を取りしかば、駿河の軍勢は蜘蛛くもの子を散らすがごとく
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
忍剣はもと、今川義元いまがわよしもと幕下ばっかで、海道一のもののふといわれた、加賀見能登守かがみのとのかみその人の遺子わすれがたみであるのだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)