仁安にんあん)” の例文
仁安にんあんの三年。それは、平治の大乱があってから十年目、頼朝が伊豆へ流されてから九年目である。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その年は喪中のため即位の行事も取やめになったが、暮の二十四日、東の御方、建春門院けんしゅんもんいんの腹になる、後白河院の皇子に親王の宣旨せんじがあり、明けて、年号が変って仁安にんあんとなった。
久安六年正月六日正五位下、翌仁平にんぺい元年正月六日従四位下。仁平三年四十歳、院の仰せにより『久安六年百首』を部類分けして奉った。仁安にんあん二年、清盛太政大臣となった年、俊成と改名、五十四歳。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
久我大納言顕通こがのだいなごんあきみちの子で、仁安にんあん元年座主となり、当時天下第一と言われる程の智識と高徳を備えた人で、上からも下からも、尊敬されていた人だったが、ある時、陰陽師おんようし安倍泰親あべのやすちか