世良田せらた)” の例文
また義貞としては、よしや尊氏が幾万の兵を持って来ようとも、本来の勇と智略と、そして、故郷世良田せらたいらいの新田小太郎が面目にかけても
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ここでの退がいは敵に気勢を揚げさせるばかり……。そちは馬をとばして、味方の陣頭にある江田行義、世良田せらた兵庫、篠塚伊賀、額田ぬかだ為綱、綿打わたうちノ入道らに、布令ふれまわれ」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
思うての、あなたの失慮も、みなわらわの至らぬところから起ったもの。……そうつつみなく打ち割って、この母が、新田殿の世良田せらたの屋形へ、自身お詫びに行きましょうわえ
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼の住む世良田せらたやかたは、さくら若葉のなかに、きょうもいたって森閑しんかんとしていたのみならず、その奥まったところからは、笛、つづみ、太鼓のなど、いともび暢びとながれていた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たもつか。——内門ないもんの廊の袖に床几しょうぎをおけ。そしてすぐ軍議をひらこう。昨夜らいの物見の情報も聞きたい。——義助をはじめ、堀口、大館おおだて、江口、世良田せらた、居あわす者はみな寄れと申せ」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
従来の貢物こうもつは、それぞれの庄家をへて、世良田せらたの“みつぎ倉”へ運びこまれ、やがて牛馬車の列になって鎌倉ノ府へ輸送されていたのであったが、こんどはちがう。鎌倉幕府直々の徴命であるという。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ふるさとの花、世良田せらたたちの桜もふとおもい出されてくる。恋が成っても破れても、男には忘れえぬ女が生涯に一人はかならずあるというが、それが自分には草心尼であったかと、義貞はいま知った。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)