“よしむね”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
吉宗52.2%
吉致17.4%
義統17.4%
吉統4.3%
義宗4.3%
芳宗4.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
特に五代綱吉つなよしから八代吉宗よしむねにいたる間は、将軍の自発性にもとづく京幕融和は間然するところがなく、尊王と幕府安泰とは背馳するどころでなく見えた。
尊攘戦略史 (新字新仮名) / 服部之総(著)
岩松経家と吉致よしむねの兄弟は、すぐ九隻の船手の指揮者として、船馴れた一隊をつれて腰越の磯へいそいだ。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
九州の大友義統よしむねが、中央の大戦に乗じて、旧領の豊後を奪還しようとして兵をあげたので、黒田如水は、これに当って、一万人の募兵を引っ提げて出陣した。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寒気厳しい最中の退却であるから惨憺たる有様であった。鳳山の大友吉統よしむねは、平壌囲まると聞くや仰天して、行長より一足お先に京城へ逃げ込んだ。
碧蹄館の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
正平しょうへい七年十二月十九日、新田義宗よしむね南軍を率い、足利尊氏を狩野河こうのかわに討つべく、武蔵の国に入ったところ、尊氏すでに狩野河を発し、谷口から府中に入り、人見原ひとみはらにて激戦したが
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
一立斎いちりゅうさい広重をつぐに二代また三代目広重あり。国貞ののちには二代目国貞(明治十三年歿)、五雲亭貞秀ごうんていさだひで豊原国周とよはらくにちか(国周は二代国貞門人)らあり。国芳の門下には芳虎よしとら芳年よしとし芳宗よしむね芳幾よしいくら残存せり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)