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ひやうぢやうしよ
享保二
丁酉年十月廿二日
双方一
統又々
評定所へ呼出しに相成前規の通役人方出座にて
公事人名前一々呼立濟て大岡越前守殿九郎兵衞を
利章の
姉婿で、當時
睡鴎と名告つてゐた黒田
美作が邸と、其向側の
評定所とへ引き上げさせた。
同月二十三日
亦々評定所に呼び出さる大岡殿
端近く席を進まれ大目附御目附立合にて留役衆
吟味書を改めて差出さるゝに大岡殿
頓て白洲を
大塩平八郎が陰謀事件の
評定は、六月七日に江戸の
評定所に命ぜられた。
勞はり爰を下らせしが大岡殿は早々右の趣きを
老中方へ申立られ
不日評定所に於て吟味有べきとの事なり