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きしだとしこ
ふりがな文庫
“きしだとしこ”の漢字の書き方と例文
語句
割合
岸田俊子
100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
岸田俊子
(逆引き)
その
歳
(
とし
)
有名なる
岸田俊子
(
きしだとしこ
)
女史(故中島信行氏夫人)漫遊し
来
(
きた
)
りて、三日間わが
郷
(
きょう
)
に演説会を開きしに、聴衆雲の如く会場
立錐
(
りっすい
)
の地だも
余
(
あま
)
さざりき。
妾の半生涯
(新字新仮名)
/
福田英子
(著)
駈足
(
かけあし
)
になって、列伝のように名だけをならべるが、京都の老妓
中西君尾
(
なかにしきみお
)
は、井上侯が
聞太
(
もんた
)
だった昔の
艶話
(
つやばやし
)
にすぎないとして、
下田歌子
(
しもだうたこ
)
女史は明治初期の女学、また
岸田俊子
(
きしだとしこ
)
明治大正美人追憶
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
十六歳で見出された
下田歌子
(
しもだうたこ
)
女史、
岸田俊子
(
きしだとしこ
)
(
湘煙
(
しょうえん
)
)女史があり、女学の道を広めさせられた
思召
(
おぼしめし
)
は、やがて女子に稀な天才が現われるときになって、
御余徳
(
おんよとく
)
がしのばれることであろう。
明治美人伝
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
幼
(
おさなき
)
より学問を好みしかば、商家には要なしと思いながらも、母なる人の
丹精
(
たんせい
)
して同所の中学校に入れ、やがて業を
卒
(
お
)
えて
後
(
のち
)
、その地の
碩儒
(
せきじゅ
)
に就きて漢学を修め、また
岸田俊子
(
きしだとしこ
)
女史の名を聞きて
妾の半生涯
(新字新仮名)
/
福田英子
(著)
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