“うちやま”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
有智山66.7%
内山33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
あくる日、尊氏は、直義や日野賢俊けんしゅんをつれて、内山の有智山うちやま寺にのぞみ、少弐妙恵の霊をねんごろに弔った。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
われは菊池入道の子、三郎頼隆と申す者、童名どうみやう菊一とて、有智山うちやま稚子ちごにてさふらひし、人みな知つて候ふ……
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
全九州も風靡ふうびするかのような勢いで、延元元年二月二十七日には、もうこの大兵力のため、少弐妙恵みょうけいの守る太宰府——宝満山のふもと有智山うちやまの城——は十重二十重とえはたえにとりかこまれていたものだった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其後そのごぐわつ二十八にちに、内山うちやま九三らう發掘はつくつして、大把手おほとつてした。其記事そのきじ東京人類學會雜誌とうきやうじんるゐがくゝわいざつしの八十六がう記載きさいせられてある。