毛氈もうせん)” の例文
いろいろの異様なるころもを着て、白くまた黒き百眼ひゃくまなこ掛けたる人、群をなして往来ゆききし、ここかしこなる窓には毛氈もうせん垂れて、物見としたり。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
楽器の前は青い毛氈もうせんで敷きつめられた舞をまう所になっていた。構造は能のそれのように、三方の見所からは全く切り離されていた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
赤い毛氈もうせんを敷いた一艘いっそうの屋形舟は、一行を載せ、夏の川風に吹かれながら、鮎やはえなどの泳いでいる清い流れの錦川をさおさして下った。
御萩と七種粥 (新字新仮名) / 河上肇(著)
日本にいたとき、わざわざ九段下の支那ものを扱っている店へ行って、支那やきの六角火鉢と碧色の毛氈もうせんを買ったのは素子だった。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
暮れてから町々の提灯ちょうちんは美しくともった。すだれ捲上まきあげ、店先に毛氈もうせんなぞを敷き、屏風びょうぶを立て廻して、人々は端近く座りながら涼んでいた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
緑の草は岸をおおうて毛氈もうせんのごとく、やなぎは翠眉すいびをあつめて深くたれ、名も知らぬ小鳥は、枝から枝へ飛びかわしてさえずっている。
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
正面が国王席になっていて、純白のアーミンの毛氈もうせんで飾ってあって、そこにキングとクインがプリンスやプリンセス多勢といらっしゃる。
お蝶夫人 (新字新仮名) / 三浦環(著)
金之助は摺足すりあしではいった。毛氈もうせんを敷いて、酒肴しゅこうの膳を前に民部康継が坐っていた。金之助は思わずあっと云ってそこへ手をおろした。
落ち梅記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
港には、数十人の裸女の背を合せた、異様の桟橋さんばしがうねっていた。客は、その毛氈もうせんよりも柔く、暖かき桟橋を踏んで上陸した。
地獄風景 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
この鞍部の前面は、小柴が密生している、山麓では緑色の毛氈もうせんを敷いたように見えるから、よく方位を見定めておくとよい。
穂高岳槍ヶ岳縦走記 (新字新仮名) / 鵜殿正雄(著)
明日はをかくぞといって寝ると、あくる日はN氏が風呂から帰って来るまでに、八畳に毛氈もうせんを敷いて紙を伸べて水をんで筆を洗ってある。
九谷焼 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
毛氈もうせんのような草原に二百年もたったかしわの木や、百年余のくりの木がぽつぽつ並んで、その間をうねった小道が通っています。
先生への通信 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
この舞台の正面——桜の山の書割りを背にいたしまして、もえ立ったような、紅い毛氈もうせんを敷きつめた、雛段ひなだんがございます。
京鹿子娘道成寺 (新字新仮名) / 酒井嘉七(著)
公主はあかにしきで顔をくるんでしっとりと歩いて来た。二人は毛氈もうせんの上へあがって、たがいに拝しあって結婚の式をあげた。
蓮花公主 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
同時どうじしたると、すぐちかおおきなはいり、四ほうったえだやわらかな緑色みどりいろ毛氈もうせんひろげたように、こまかなが、微風びふうにゆれていました。
僕はこれからだ (新字新仮名) / 小川未明(著)
女は毛氈もうせんの上へ身を投げかけるように、消えも入りたい風情です。男の羽織と半纏を引っ掛けた浅ましい姿がたまらなく恥かしかったのでしょう。
いいえ、隣桟敷の毛氈もうせん頬杖ほおづえや、橋の欄干袖振掛けて、という姿ぐらいではありません。貴方、もっと立派なお土産を御覧なさいましょうよ。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「なんだ、そんな絵。絵なんか、ぼくだつて書けるや」と言ひ放つと、隣の間から自分の水彩画を二三枚もつて来て、毛氈もうせんのはしへ並べはじめた。
少年 (新字旧仮名) / 神西清(著)
毛氈もうせんを敷いて金屏風を引きまわし、のきには祭礼の提灯を掛けつらね、客を大勢招んで酒宴をしながら、夜もすがらさざめいて明けるのを待っている。
甘いから酔ってしまい、下駄を穿くと脱ぐ事がならずことごとくられ、毛氈もうせんの染料として血を取らると載せたが、またエリアヌスの説に似て居る。
毛氈もうせんも、おじゅうも、酒器も、盤も、宿からの品は一品も失いません、二人の身体だけが、水に沈んでしまいましたげな。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それが群をなして、ただ一人の惰眠児だみんじめるのを、ぽつねんと、することもなく毛氈もうせん床几しょうぎにならんで待っていた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一方にはまたあの緑の毛氈もうせんを敷いたような岩高蘭がんこうらん苔桃こけももの軟いしとねに、慈母の優しいふところを思わせる親しさがある。
秩父のおもいで (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
十月はじめ、雲一ツなく晴れわたった小春日和。田圃たんぼの稲はもう刈取られて畦道に掛けられ、畠には京菜と大根の葉が毛氈もうせんでも敷いたようにひかっている。
買出し (新字新仮名) / 永井荷風(著)
場所は花やしきの一隅で、小座敷を添えた葭簀張り、赤毛氈もうせんの縁台、花暖簾に掛行灯、すべて時代離れのした風景。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
御徒士町辺おかちまちあたりとほつて見るとお玄関げんくわんところ毛氈もうせん敷詰しきつめ、お土蔵くらから取出とりだした色々いろ/\のお手道具てだうぐなぞをならべ、御家人ごけにんやお旗下衆はたもとしゆう道具商だうぐやをいたすとふので
士族の商法 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
ピッタリと閉切しめきったその障子の内側の黒檀縁こくたんぶちの炉のそばに、花鳥模様の長崎毛氈もうせんを敷いて、二人の若い女が、白い、ふくよかな両脚を長々と投出しながら
名君忠之 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
(私は今では瓦斯ガス広告のように朦朧もうろうとした認識不足に陥っていった)私は毛氈もうせんのような花束とアンナ・スラビナには英雄の手本という好色本を贈ったのだが
恋の一杯売 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
二十四孝の描かれた屏風びょうぶ、松竹梅、赤い毛氈もうせん、親類の改まった顔等、皆正月を正月らしくする画因であった。
渓のむこうもじぶんの立っている周囲まわりも、赤い毛氈もうせんを敷いた雛壇ひなだんのような壇が一面に見えて、その壇の上には内裏雛だいりびなを初め、囃子はやし押絵おしえの雛がぎっしり並んでいた。
怪人の眼 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
さもなくばくれない毛氈もうせん敷かれて花牌はなふだなど落ち散るにふさわしかるべき二階の一室ひとまに、わざと電燈の野暮やぼを避けて例の和洋行燈あんどうらんぷを据え、取り散らしたる杯盤の間に
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
玄関には支那の書物らしいものがやや乱雑に積重ねてあって、古びた毛氈もうせんのような赤い布が何物かの上に置いてあった。その毛氈の赤い色が強く私の目を射た。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
「今日はお習字だよ」と仰しゃると、墨をるお手伝をします。毛氈もうせんを敷き、太い筆を執っていろいろお書きになる時には、きっと一、二枚はいただきました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
中央公園脇の王様丘コングス・ヘイに、王城のような大邸宅を構えて、定紋打った大門の鉄扉てっぴくぐってから、両側に並んだ石造の獅子や、毛氈もうせんを敷き詰めたごとき眼も遥かな芝生しばふ
グリュックスブルグ王室異聞 (新字新仮名) / 橘外男(著)
清水寺のすぐちかくに赤い毛氈もうせんを敷いた縁台を二つならべて置いてある小さな甘酒屋で知り合った。
ダス・ゲマイネ (新字新仮名) / 太宰治(著)
野のところどころにはこんもりとした森があって、その間に白堊しらかべの土蔵などが見えている。まだくわを入れぬ田には、げんげが赤い毛氈もうせんを敷いたようにきれいに咲いた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
また川辺には適当な空地があるからでもある。そこに毛氈もうせんや毛布を敷いて坐り場所とする、敷物が足らぬ時には重箱などを包んである風呂敷をひろげてその上に坐る。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
つたかずらをじて登り着くと、そこには良い樹を植えならべて、そのあいだには名花も咲いている。緑の草がやわらかに伸びて、さながら毛氈もうせんを敷いたようにも見える。
こしをだにくる所もなく、唯両脚を以てたいささへて蹲踞そんきよするのみ、躰上に毛氈もうせんと油紙とをかふれども何等なんらこうもなし、人夫にいたりては饅頭笠まんじうがさすでに初日の温泉塲をんせんばに於てやぶ
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
寝台は幅の狭い、鉄製のもので、その上には蒲団の代わりに毛氈もうせんが一枚だけ敷いてあった。片隅には、聖像の前に経机がすわっていて、十字架と福音書とが載せてある。
この下の毛氈もうせんだって、これはミシェルがコオラッサンだって持って来てくれたものなんだし、このクションの天鵞絨びろうどだって、イギリス人がスキュタリだからどうだとか
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
もっとも中にはが少しもなくって広い芝原になって毛氈もうせんを敷き詰めたごとくになって居るところもある。それから一町ばかり進みますと中に一町半四面程の垣がある。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
毛氈もうせんきらびやかにして、脇小路小路は矢来にて仕切り、桜田へんの大名方より神馬をひかれ、あるいは長柄の供奉ぐぶ、御町与力同心のお供あり、神輿三社、獅子二かしら。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
医院はまだ宵の口なので、大きなラムプが部屋にりさげられてあって光は皎々こうこうと輝いていた。客間は八畳ぐらいだがあか毛氈もうせんなどが敷いてあって万事が別な世界である。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
寒いときは下に敷いてある紺毛氈もうせんの端をとってくる/\と身体に巻き、葉巻き虫が巣を作った恰好でうたた寝をしていました。見ていて何となくわびしい感じの寝像でした。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
中には往来に面した方を、まるで汚らしいぼろ切れかむしろのような、古毛氈もうせんで蔽っている家もあった。……半裸体の奴隷達は船の中から歩き板を伝って、こうりを担ぎ出して居た。
大衆文芸作法 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
織部正則重は居城牡鹿山の奥御殿の庭で花見の宴を催し、折柄満開の桜の木かげに幔幕まんまくめぐらし毛氈もうせんを敷いて、夫人や腰元どもと酒をみながら和歌管絃の興にふけっていた。
土饅頭どまんじゅうぐらいな、なだらかなおか起伏きふくして、そのさきは広いたいらな野となり、みどり毛氈もうせんをひろげたような中に、森や林がくろてんおとしていて、日の光りにかがやいてる一筋ひとすじの大河が
強い賢い王様の話 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
その痕跡の仆木ふぼくが、縦横に算を乱している、そうして腐った木に、羊歯しだだの、蘇苔が生ぬるくびついて、唐草模様の厚い毛氈もうせんを、円くかぶせてある、踏む足はふっくらとして
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
若い弟子に毛氈もうせんの上の描きかけの絹やら絵筆やらを片づけさせながら、先生は座を直した。
贋物 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)