天神てんじん)” の例文
井戸は江戸時代にあつては三宅坂側みやけざかそばさくら清水谷しみづだにやなぎ湯島ゆしま天神てんじん御福おふくの如き、古来江戸名所のうちに数へられたものが多かつたが
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
行者のうちは五条の天神てんじんの裏通りで、表構おもてがまへはほど広くもないが、奥行おくゆきのひどく深いうちであるので、この頃の雨の日には一層うす暗く感じられた。
神様に天神てんじん地祇ちぎという区別がありまして、すなわち天津神あまつかみ国津神くにつかみですが、その天津神あまつかみとは高天原の神様、すなわち天孫民族の祖神と仰ぐ神様で
ある日、近所の天神てんじんさまにお祭があるので、私は乳母ばあやをせびって、一緒にそこへ連れて行ってもらいました。
梨の実 (新字新仮名) / 小山内薫(著)
十三じふそ三國みくにかはふたして、服部はつとり天神てんじん參詣さんけいし、鳥居前とりゐまへ茶店ちやみせやすんだうへ、またぼつ/\とかけた。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
八重やえだたみというか高だたみとうか、百人一首の「天神てんじんさま」の乗っている畳も、古くから有ったことは有ったが、座敷と称してこれを室一杯に敷きつめることは
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
忠隣の忠臣吉見太郎左衛門は、所司代庁の捕卒を五六人れ、訴人の僧侶を案内にして九条のほうへ往った。そして、僧侶の教えるままに天神てんじんの裏手にある庵室あんしつへ往った。
切支丹転び (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
萩寺はぎでらの先にある電柱(?)は「亀井戸かめゐど天神てんじん近道」といふペンキ塗りの道標だうへうを示してゐた。僕等はその横町よこちやうまがり、待合まちあひやカフエの軒を並べた、狭苦しい往来わうらいを歩いて行つた。
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
たかといへるは洋銀ようぎんかんざし天神てんじんがへしのまげしたきながらおもしたやうにりきちやん先刻さつき手紙てがみしかといふ、はあとのない返事へんじをして、どうでるのではいけれど
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
うしろには綿わたあつい、ふつくりした、竪縞たてじまのちやん/\をた、鬱金木綿うこんもめんうらえて襟脚えりあしゆきのやう、艶氣つやけのない、赤熊しやぐまのやうな、ばさ/\した、あまるほどあるのを天神てんじんつて
三尺角 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
天神てんじんよ。(天に息を吹く)地祇ちぎよ。(地に息を吹く)わしは永久に友を見捨てませぬ。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
ひとごとをいいました。そしてそのばんはわざわざ五条ごじょう天神てんじんさまにおまいりをして
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
ヒンヅ教の一寺院をうて見たが、屋上にも堂ぜんにも牛の像をまつることあたか天神てんじん様の前の如く、牛糞ぎうふんを塗つた四五人の僧は牛皮ぎうひの靴を穿いて居る僕等を拒んで堂内に入れ無かつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
たゞ二男の富小路右大臣顕忠が、康保二年四月廿四日を以て六十八歳で歿したのは例外であるが、此の人は心がけのよい人で、平生へいぜい菅公の霊をおそれ敬い、毎夜庭に出て天神てんじんを拝した。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
うるほへる天神てんじん地祇ちぎや春の雨
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
井戸は江戸時代にあっては三宅坂側みやけざかそばさくら清水谷しみずだにやなぎ湯島ゆしま天神てんじん御福おふくの如き、古来江戸名所のうちに数えられたものが多かったが
うしろには綿わたの厚い、ふっくりした、竪縞たてじまのちゃんちゃんを着た、鬱金木綿うこんもめんの裏が見えて襟脚えりあしが雪のよう、艶気つやけのない、赤熊しゃぐまのような、ばさばさした、余るほどあるのを天神てんじんって
三尺角 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
観音かんのん釈迦しゃか八幡はちまん天神てんじん、——あなたがたのあがめるのは皆木や石の偶像ぐうぞうです。まことの神、まことの天主てんしゅはただ一人しか居られません。お子さんを殺すのも助けるのもデウスの御思召おんおぼしめし一つです。
おしの (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そこには躑躅つつじが咲き残り、皐月さつきが咲き、胸毛の白い小鳥は嫩葉わかばの陰でさえずっていた。そして、松や楢にからまりついた藤は枝から枝へつるを張って、それからは天神てんじん瓔珞やぐらのような花房はなぶさを垂れていた。
藤の瓔珞 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
こころみに初めてあわせを着たその日の朝といわず、昼といわず、また夕暮といわず、外出そとでの折の道すがら、九段くだんの坂上、神田かんだ明神みょうじん湯島ゆしま天神てんじん、または芝の愛宕山あたごやまなぞ