光琳こうりん)” の例文
相州三浦そうしゅうみうら、横須賀在、公郷村くごうむらの方に住む山上七郎左衛門やまがみしちろうざえもんから旅の記念にと贈られた光琳こうりんの軸がその暗い壁のところに隠れていたのだ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
夏は翡翠ひすい屏風びょうぶ光琳こうりんの筆で描いた様に、青萱あおかやまじりに萱草かんぞうあかい花が咲く。萱、葭の穂が薄紫に出ると、秋は此小川のつつみに立つ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
光琳こうりんの極彩色は、高尚な芸術でないと思っているのであろうか。渡辺崋山かざんの絵だって、すべてこれ優しいサーヴィスではないか。
如是我聞 (新字新仮名) / 太宰治(著)
宗達そうたつが日本に出現しますには、日本に宗達風の絵画、すなわち光琳こうりんの画風があったのであります。光琳から宗達が生まれてきたのであります。
能書を語る (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
夜は光琳こうりん風の枕屏風まくらびょうぶのかげでねむり寒いときは朝めをさますと座敷のなかへ油団ゆとんをしいてゆみずを幾度にもはこばせて半挿はんぞうたらいで顔をあらう。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
また彼はゴンスが西人せいじんに対して了解しやすからざる光琳こうりんの芸術を明瞭めいりょうに説明して誤りなからしめし事を賞賛してまざりき。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
人々が装飾的だと思う光琳こうりんなどは僕の目には本当の装飾の感じをうけない。形式がいやに目について装飾の感じは来ない。
大昔から何度となく外国文化を模倣しのみにして来た日本にも、いつか一度は光琳こうりんが生まれ、芭蕉ばしょうが現われ、歌麿うたまろが出たことはたしかである。
映画雑感(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
昔の日本画家の例えば光琳こうりん宗達そうたつなどのあの、空想的な素晴らしい絵画の背後に、彼の自然からの忠実な、綿密な写生ちょうがどれだけ多く存在したか
油絵新技法 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
彼の作品に比すれば、その孫の光甫こうほおいの子光琳こうりんおよび乾山けんざんの立派な作もほとんど光を失うのである。いわゆる光琳派はすべて、茶道の表現である。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
「……妙なこともあるもんだ。支那に都鳥がいるなんてことはきいたこともない。水鳥はいようが、こんな光琳こうりん風の図柄などを知っているはずがない」
顎十郎捕物帳:03 都鳥 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
○枕許に『光琳こうりん画式』と『鶯邨おうそん画譜』と二冊の彩色本があつて毎朝毎晩それをひろげて見ては無上の楽として居る。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
それは真に一宗の開拓であった。光悦に続いて宗達そうたつ光琳こうりん、乾山と燦爛さんらんたる命脈が持続されたのも無理はない。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
光琳こうりん模様、光悦こうえつ模様などが「いき」でないわけも主としてこの点によっている。「いき」が模様として客観化されるのは幾何学的模様のうちにおいてである。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
円福寺の方丈の書院の床の間には光琳こうりん風の大浪おおなみ、四壁の欄間らんまには林間の羅漢らかんの百態が描かれている。
わきには七宝入りの紫檀したん卓に、銀蒼鷹ぎんくまたかの置物をえて、これも談話はなしの数に入れとや、極彩色の金屏風きんびょうぶは、手を尽したる光琳こうりんが花鳥の盛上げ、あっぱれ座敷や高麗縁こうらいべりの青畳に
書記官 (新字新仮名) / 川上眉山(著)
轔々りんりん轟々ごうごう轣轆れきろくとして次第に駈行かけゆき、走去る、殿しんがりに腕車一輛、黒鴨仕立くろがもじたて華やかに光琳こうりんの紋附けたるは、上流唯一の艶色えんしょくにて、交際社会の明星と呼ばるる、あのそれ深川綾子なり。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
谷中やなかから上野うえのける、寛永寺かんえいじ土塀どべい沿った一筋道すじみち光琳こうりんのようなさくら若葉わかばが、みちかれたまんなかたたずんだ、若旦那わかだんな徳太郎とくたろうとおせんのあにの千きちとは、おりからの夕陽ゆうひびて
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
「おまえは、光琳こうりんたことがあるか。」と、叔父おじさんは、おいにききました。
町の真理 (新字新仮名) / 小川未明(著)
その室は、光琳こうりん風の襖絵のある十畳間で、左手の南向きだけが、縁になっていた。その所以せいでもあろうか。午後になって陽の向きが変って来ると、室の四隅からは、はやかげりが始まって来る。
絶景万国博覧会 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
光琳こうりん屏風びょうぶにでも写しそうな、かたちのよい、一株の老梅があった。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おやっちゃんに見せたことあるかしら、光琳こうりん蒔絵まきえの重箱を。」
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
妻籠つまご本陣青山寿平次殿へ、短刀一本。ただし、古刀。銘なし。馬籠まごめ本陣青山半蔵殿へ、蓬莱ほうらいの図掛け物一軸。ただし、光琳こうりん筆。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
クリスマスの夜の空に明月を仰ぎ、雪の降る庭に紅梅の花を見、水仙の花の香をかぐ時には、何よりも先に宗達そうたつ光琳こうりんの筆致と色彩とを思起す。
西瓜 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
例えば光琳こうりんの草木花卉かきに対するのでも、歌麿うたまろ写楽しゃらくの人物に対するのでもそうである。こういう点で自分が特に面白く思うのは古来の支那画家の絵である。
これは極めて珍しい画き方と思ふが果して広重の発明であるか、あるいは光琳こうりんなどでも画いて居る事があらうか、あるいは西洋画からでも来て居るであらうか。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
私の家では、先祖代々、芸術家を好きだったようです。光琳こうりんという画家も、むかし私どもの京都のお家に永く滞在して、ふすまに綺麗な絵をかいて下さったのです。
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
とりわけりん派の蒐集しゅうしゅうがあって、今日特にやかましくいわれている宗達そうたつ光琳こうりんのものなど数十点集めておったほどの趣味家で、この点だけでも大したものであった。
鰻の話 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
雪舟せっしゅうとか光琳こうりんとか文晁ぶんちょうとか容斎ようさいとかいう昔しの巨匠の作になずんだ眼で杓子定規に鑑賞するから、偶々たまたま芸術上のハイブリッドを発見しても容易に芸術的価値を与えようとしない。
博物館はくぶつかんに、いま光琳こうりんほう一など、琳派りんぱ陳列ちんれつがあるのじゃがな。」と、叔父おじさんは、博物館はくぶつかんもんのあるほうをつえでしました。しかし、そのほうには、人影ひとかげすくなくて、さびしかったのです。
町の真理 (新字新仮名) / 小川未明(著)
背きがち、うなだれがちに差向ったより炉の灰にうつくしい面影が立って、そのうすい桔梗の無地の半襟、お納戸縦縞たてじまあわせの薄色なのに、黒繻珍くろしゅちんに朱、あい群青ぐんじょう白群びゃくぐんで、光琳こうりん模様に錦葉もみじを織った。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
例の相州三浦にある本家から贈られた光琳こうりんの軸、それに火災前から表玄関の壁の上に掛けてあった古い二本のやりだけは遠い先祖を記念するものとして残った。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
日本の風土を離れて広重の美術は存在せざるなり。余は広重の山水と光琳こうりん花卉かきとを以て日本風土の特色を知解せしむるに足るべき最も貴重なる美術なりとなす。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そこでまあ光琳こうりん、遠州などの技巧家の中では一番飛び離れてうまいのでありますが、この中に宗和という人がおります。これもまたなかなかうまいようであります。
書道と茶道 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
一、そこらにある絵本の中から鶴の絵を探して見たが、沢山の鶴を組合せて面白い線の配合を作つて居るのは光琳こうりん。ただ訳もなく長閑のどかに並べて画いてあるのは抱一ほういつ
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
しかしここにもし光琳こうりんでも山楽さんらくでも一枚持ってくればやっぱり光って見えはしないかとも思う。
二科展院展急行瞥見 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
このたびは日本の元禄時代の尾形光琳こうりんと尾形乾山けんざんと二人の仕事に一ばん眼をみはりました。
トカトントン (新字新仮名) / 太宰治(著)
上段の間は、と見ると、そこは御便殿ごびんでんに当てるところで、純白な紙で四方を張り改め、床の間には相州三浦の山上家から贈られた光琳こうりん筆の記念の軸がかかった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
色彩のモンタージュはいかにすべきかについてはやはり東洋画ことに宗達そうたつ光琳こうりんの絵や浮世絵は参考になるであろう。俳諧連句はいかいれんくもまたかなりの参考資料を提供するであろう。
映画芸術 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
しかしそれらの雑草は和歌にもうたわれず、宗達そうだつ光琳こうりんの絵にも描かれなかった。独り江戸平民の文学なる俳諧と狂歌あって始めて雑草が文学の上に取扱われるようになった。
しからば大雅たいが蕪村ぶそん玉堂ぎょくどうか。まだまだ。では光琳こうりん宗達そうたつか。なかなか。では元信もとのぶではどうだ、又兵衛またべえではどうだ。まだまだ。光悦こうえつ三阿弥さんあみか、それとも雪舟せっしゅうか。もっともっと。因陀羅いんだら梁楷りょうかいか。
河豚は毒魚か (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
光琳こうりん歌麿うたまろ写楽しゃらくのごとき、また芭蕉ばしょう西鶴さいかく蕪村ぶそんのごときがそれである。彼らを昭和年代の今日に地下より呼び返してそれぞれ無声映画ならびに発声映画の脚色監督の任に当たらしめたならばどうであろう。
映画時代 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ことわりてゐたりしかど金子翁かつて八百屋が先代の主人とは懇意なりける由にて事の次第をはなして頼みければ今の若き主人心よく承知して池にのぞ下座敷したざしきを清め床の間の軸も光琳こうりんが松竹梅の三幅対さんぷくつい
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)