“かふ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
家扶34.6%
寡婦30.8%
14.4%
火夫4.8%
家婦2.9%
家譜2.9%
1.9%
下附1.9%
佳婦1.0%
1.0%
家父1.0%
華府1.0%
1.0%
1.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
が、一寸間を置いて、あわただしく車内へ馳せ込んだ男は、先の紳士と同年輩らしい少し古びた洋服着の、一見して一行の家扶かふであることが分った。
動かぬ女 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
それら寡婦かふのうち衣食に窮するままに、辺境守備兵の妻となり、あるいは彼らを華客とくいとする娼婦しょうふとなり果てた者が少なくない。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
眞白まつしろなのは、てのひらへ、むらさきなるは、かへして、指環ゆびわ紅玉ルビイかゞやかふへ、朱鷺色ときいろあしして、かるとまるまでにれたのであつた。
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
いい気持で、睡っていた船員や火夫かふ達は、一人のこらずたたき起され、救助隊が編成せられ、衛生材料があるだけ全部船長室に並べられた。
幽霊船の秘密 (新字新仮名) / 海野十三(著)
すなわち家婦かふにんにして、昼夜のべつなく糸をつむ木綿もめんを織り、およそ一婦人、世帯せたいかたわらに、十日のろうを以て百五十目の綿を一反の木綿に織上おりあぐれば、三百目の綿に交易こうえきすべし。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「多聞院日記」の記事によれば、この時の激戦は、三日にわたるとあるが、「柳生家家譜かふ」には、七日をすぐとある——
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
堀の内よりはじむ、次に小千谷、次に十日町、次に塩沢しほざは、いづれも三日づゝあひおきてあり。(年によりて一定ならず)右四ヶ所の外には市場なし。十日町には三都さんと呉服問屋ごふくとひやの定宿ありて縮をこゝにかふ
僕は今、子供の様に、乙種運転手免状が下附かふされる日を、待ちこがれているのだよ
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
はらさんと夫より播州さしてぞいそぎける所々方々と尋ぬれど行衞ゆくゑは更にしれざりしが或日途中とちうにて兵助に出會であひしも六郎右衞門は天蓋てんがいかふりし故兵助は夫ともしら行過ゆきすぎんとせしに一陣のかぜふき來り天蓋を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
家父かふとも頼む叔父に死なれ、主と仰ぐ人にはまれ疑われ、寄るに陣地なく、遂に江北を脱してこれへ参りましたもの。——願わくはそれがし両名の寸命を用いて、良き死場所をお与えください
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東京と、華府かふとの二ヶ所では、政府当局と相手国の全権大使とが、頻繁ひんぱんに往復した。外交文書には、次第に薄気味のわるい言葉がりこまれて行った。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
あはれ果敢はかなき塵塚ちりづかうちに運命を持てりとも、きたなきよごれはかふむらじと思へる身の、なほ何所いづこにか悪魔のひそみて、あやなき物をも思はするよ。
軒もる月 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
こしをだにくる所もなく、唯両脚を以てたいささへて蹲踞そんきよするのみ、躰上に毛氈もうせんと油紙とをかふれども何等なんらこうもなし、人夫にいたりては饅頭笠まんじうがさすでに初日の温泉塲をんせんばに於てやぶ
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)