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高瀬川
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たかせがわ
ふりがな文庫
“
高瀬川
(
たかせがわ
)” の例文
京都の
高瀬川
(
たかせがわ
)
は、五条から南は天正十五年に、二条から五条までは慶長十七年に、
角倉了以
(
すみのくらりょうい
)
が掘ったものだそうである。そこを通う舟は
曳舟
(
ひきふね
)
である。
高瀬舟縁起
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
それからまた「
清水
(
きよみず
)
」と「
高瀬川
(
たかせがわ
)
」という題で、絵馬か覗きからくりの絵からでも進化したような絵があったが、あれにもやはり無限に近づこうとする努力の第一歩がないとは云われなかった。
帝展を見ざるの記
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
兵火の起こったのは
巳
(
み
)
の
刻
(
こく
)
のころであったが、おりから風はますます強く、火の子は八方に散り、東は
高瀬川
(
たかせがわ
)
から西は
堀川
(
ほりかわ
)
に及び、南は九条にまで及んで下京のほとんど全都は火災のうちにあった。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
高瀬舟
(
たかせぶね
)
は京都の
高瀬川
(
たかせがわ
)
を
上下
(
じょうげ
)
する小舟である。徳川時代に京都の罪人が
遠島
(
えんとう
)
を申し渡されると、本人の親類が
牢屋敷
(
ろうやしき
)
へ呼び出されて、そこで
暇乞
(
いとまご
)
いをすることを許された。
高瀬舟
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
“高瀬川”の解説
高瀬川(たかせがわ)は、青森県南東部を流れ太平洋に注ぐ一級河川。高瀬川水系の本流である。
「高瀬川」の名称の使用は、小川原湖から河口までの7kmほどの範囲のみに限定されることが多く、小川原湖より上流は「七戸川(しちのへがわ)」、「和田川(わだがわ)」で呼ばれている。「高瀬」の由来は、小川原湖の水が海に注ぐ浅い水路という意味であると言われている。
(出典:Wikipedia)
高
常用漢字
小2
部首:⾼
10画
瀬
常用漢字
中学
部首:⽔
19画
川
常用漢字
小1
部首:⼮
3画
“高瀬”で始まる語句
高瀬船
高瀬舟
高瀬