高瀬川たかせがわ)” の例文
京都の高瀬川たかせがわは、五条から南は天正十五年に、二条から五条までは慶長十七年に、角倉了以すみのくらりょういが掘ったものだそうである。そこを通う舟は曳舟ひきふねである。
高瀬舟縁起 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それからまた「清水きよみず」と「高瀬川たかせがわ」という題で、絵馬か覗きからくりの絵からでも進化したような絵があったが、あれにもやはり無限に近づこうとする努力の第一歩がないとは云われなかった。
帝展を見ざるの記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
兵火の起こったのはこくのころであったが、おりから風はますます強く、火の子は八方に散り、東は高瀬川たかせがわから西は堀川ほりかわに及び、南は九条にまで及んで下京のほとんど全都は火災のうちにあった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
高瀬舟たかせぶねは京都の高瀬川たかせがわ上下じょうげする小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島えんとうを申し渡されると、本人の親類が牢屋敷ろうやしきへ呼び出されて、そこで暇乞いとまごいをすることを許された。
高瀬舟 (新字新仮名) / 森鴎外(著)