驚風きょうふう)” の例文
その前下谷西町で明治十六年に次女うめ子を五歳で驚風きょうふうのために亡くしましたが、これは間もなく長男の光太郎が生まれましたので幾分かまぎれました。
軽い驚風きょうふうということで、その後はつつがなく御成育になり、元服と同時に、相違なく家督相続さしゆるされるむね、お達しがあり、家中一同恐悦に存じておりました。
顎十郎捕物帳:10 野伏大名 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
しんの乾隆二十年、都で小児が生まれると、驚風きょうふう(脳膜炎)にかかってたちまち死亡するのが多かった。
「前の晩まで元気な犬が、卒中や驚風きょうふうでコロリと死ぬものか。そいつはマチンを食わされたに決っているようなものだ。前の日変な奴が来なかったか、聴かなかったのか」