誓願寺せいがんじ)” の例文
と、武士もののふの死出を笑って、誓願寺せいがんじの曲をひとさし舞い、舞い終るとすぐ舟のうちで屠腹とふくしたと、後の世までの語りぐさに伝わっている。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
墓は千住の大橋で誓願寺せいがんじにあって、今日とても時々墓参をしている次第であるが……月日は何時いつって三十余年を過ぎ、当時の知人朋友ほうゆうも亡くなって行く中
の渡邊織江が切害せつがいされましたのは、明和の四年亥歳いどし九月十三に、谷中瑞林寺の門前で非業な死を遂げました、屍骸を引取って、浅草の田島山たじまさん誓願寺せいがんじへ内葬を致しました。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
箱根の石高いしだか道をひきおろし、神田誓願寺せいがんじ前の松浦侯の上邸かみやしきにおさまったところを拝見に出かけたが、臼砲の口径は一尺二寸、砲身の長さは十五尺もあるという、思いもかけぬ大物おおものだったので
ひどい煙 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
宗治は、小舟の上にって、さっと白扇をひらいた。そして日頃の一つ芸、誓願寺せいがんじの曲を舞った。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)