詮勝あきかつ)” の例文
また陸奥国むつのくに八戸はちのへの城主南部なんぶ遠江守とうとうみのかみ信順のぶゆきと越前国鯖江さばえの城主間部まなべ下総守詮勝あきかつとから五人扶持ずつの俸を受けていた。しかし躋寿館においても、家塾においても、大抵養子竹逕ちくけいが代講をしていたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)