行装ぎょうそう)” の例文
旧字:行裝
八年の二月、大挙して、京都へ出た信長は、そのおびただしい人数と行装ぎょうそうの威を誇示しながら、山崎、郡山、伊丹いたみなどの大坂近郊を、巡遊していた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここまで持って来た是か非かの生命いのちがけな論議も、ここでは口に出すすべもなかったし——より以上、老公のいつにない堂々たる行装ぎょうそうの出先にたいして
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はなわ九郎右衛門、荒木摂津守せっつのかみ、武井夕菴せきあん、そのほか柴田、丹羽、佐久間、蜂屋兵庫守ひょうごのかみなど——何しても、その行装ぎょうそうの壮観、式のおごそかなことは、仰山ぎょうさんともいえるほどだった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉の行装ぎょうそう一列が、まばゆい朝日の下を、桑実寺の門前町から流れ出てゆく時、使者の蘭丸もまた安土の城門へむかって帰っていたが、何ぞ知らん、この地上におけるこう二人の相識そうしき
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さらにその効を大にすべく、また、ようやく革新統業かくしんとうぎょうの第二段階に入ったこの際に、将来の大策について怠るべきときでないとして、彼としては実にめずらしく、大がかりな行装ぎょうそうと列伍をしたがえて
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何くわぬ行装ぎょうそうのもとに蜿蜒えんえんと城へさしてゆく。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)