藤堂家とうどうけ)” の例文
五百の本丸をさがったのは何時いつだかわからぬが、十五歳の時にはもう藤堂家とうどうけに奉公していた。五百が十五歳になったのは、天保元年である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
藤堂家とうどうけの大きな屋敷があって、内藤豊後守ないとうぶんごのかみの屋敷があって、ちょっぴりとその真中へ狭まった町家のうちに、円山派まるやまはの画描き篠原梅甫しのはらばいほの住いがある。
彼は人に姿を見られるのもいとうように、スタスタと足早に立ち去った。園内の反対の側にのこされたる藤堂家とうどうけ墓所ぼしょがあった。そこは鬱蒼うっそうたる森林に囲まれ、厚いこけのむしたしんに静かな場所だった。
爬虫館事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)