聚楽第じゅらくだい)” の例文
聚楽第じゅらくだい行幸で、天下の群雄を膝下しっか叩頭こうとうさせて気をよくして居た時でも、秀吉の頭を去らなかったのは此の関東経営であろう。
小田原陣 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「これはこれは何を有仰おっしゃるやら、聚楽第じゅらくだいのお侍でありながら、聚楽第の掟をご存知ないそうな。この密房は男禁制、開けることではござりませぬよ」
血ぬられた懐刀 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しかし一方、聚楽第じゅらくだいにいる秀次は、これらの未曾有みぞうの大作業がはかどって行くに従ってどう云う感じを抱いたであろうか。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それでも聚楽第じゅらくだいに行幸を仰いだ時など、代作か知らぬが真面目くさって月並調の和歌を詠じている。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
日本国関白殿下の大貫禄をもつて天晴れ朝鮮使節を聚楽第じゅらくだいに引見する。
二流の人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
聚楽第じゅらくだいの付近にある、小四郎の住居すまいまで行ったところ、小四郎はどうしたものであろうか、けんもほろろの挨拶をして、萩野を追い返してしまったのである。
血ぬられた懐刀 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
聚楽第じゅらくだいと云う立派な御殿にお住まいなされていらっしゃいましたが、愚僧のもとの主人、石田治部少輔殿のお計らいで、それ、その橋の下で斬られてお了いなされたのじゃ。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
聚楽第じゅらくだいの西の花園の地に、手広い屋敷を営んで、家の子郎党も多少貯え、近郷の者には尊敬され、太閤秀吉にも認められ、殿上人にも親しまれて、のびやかに風雅にくらしていた。
血ぬられた懐刀 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
且角倉氏は誓願寺の中興教山上人をしょうじて導師とし、死者に各法号を授けて無縁塔に刻し、大佛殿建築の残材、聚楽第じゅらくだいの建物を譲り受けて一寺を創建し、幕府の許可を得て慈周山瑞泉寺と号した。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)