トップ
>
聖道
>
しょうどう
ふりがな文庫
“
聖道
(
しょうどう
)” の例文
法然はその願い通りに
聖道
(
しょうどう
)
の難行なること、浄土の修し易きことを語り聴かせて彼等を随喜させて帰した。
法然行伝
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
随分奇異な先生ぶりではあったろうが、何も当面を錯過するのでは無く、寸暇の遊心を
聖道
(
しょうどう
)
に運んでいるのみであるから、
咎
(
とが
)
めるべきにはならぬことだったろう。
連環記
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
もとよりこれは親鸞のいわゆる「
聖道
(
しょうどう
)
の慈悲」であろう。いかにこの慈悲が高まるにしても、衆生を「助け遂ぐる」ことはできない。智覚禅師は今世の命を衆生に施した。
日本精神史研究
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
唯円
善
(
よ
)
いものでなくては助からぬという
聖道
(
しょうどう
)
の教えとはなんという相違でございましょう。
出家とその弟子
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
もしくは
聖道
(
しょうどう
)
の難行によるにせよ、浄土の易行によるにせよ、私たちの魂が最後の完成に至ることができないとすれば、私たちの活動や生活は全く意義を失わなければならない。
語られざる哲学
(新字新仮名)
/
三木清
(著)
▼ もっと見る
翻然
(
ほんぜん
)
と悟って、
聖道
(
しょうどう
)
自力の旧教を捨て、浄土他力の真門に入ったということでござる。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
飽
(
あ
)
くまで禁慾的な——難行苦行主義な——自力
聖道
(
しょうどう
)
の道を極端にまでやかましくいっていたが、高綱が見たところでは、それは形の上にだけ行われていて、僧たちの個人生活には
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また世間普通の
生臭御前
(
なまぐさごぜん
)
であったなら、なんら問題になりはせんのだが、あの禅師が落ちたということで、修行というものも当てにはならぬものだ、
聖道
(
しょうどう
)
は
畢竟
(
ひっきょう
)
魔行に勝てない、あの禅師が
大菩薩峠:40 山科の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
従来の
聖道
(
しょうどう
)
自力の僧は、やたらに自分にも行いがたい禁慾を強いる。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“聖道”の意味
《名詞》
聖者、聖人の道。
「八聖道、聖道門」の略。
(出典:Wiktionary)
聖
常用漢字
小6
部首:⽿
13画
道
常用漢字
小2
部首:⾡
12画
“聖道”で始まる語句
聖道門
聖道浄土