聖道しょうどう)” の例文
法然はその願い通りに聖道しょうどうの難行なること、浄土の修し易きことを語り聴かせて彼等を随喜させて帰した。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
随分奇異な先生ぶりではあったろうが、何も当面を錯過するのでは無く、寸暇の遊心を聖道しょうどうに運んでいるのみであるから、とがめるべきにはならぬことだったろう。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
もとよりこれは親鸞のいわゆる「聖道しょうどうの慈悲」であろう。いかにこの慈悲が高まるにしても、衆生を「助け遂ぐる」ことはできない。智覚禅師は今世の命を衆生に施した。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
唯円 いものでなくては助からぬという聖道しょうどうの教えとはなんという相違でございましょう。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
もしくは聖道しょうどうの難行によるにせよ、浄土の易行によるにせよ、私たちの魂が最後の完成に至ることができないとすれば、私たちの活動や生活は全く意義を失わなければならない。
語られざる哲学 (新字新仮名) / 三木清(著)
翻然ほんぜんと悟って、聖道しょうどう自力の旧教を捨て、浄土他力の真門に入ったということでござる。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
くまで禁慾的な——難行苦行主義な——自力聖道しょうどうの道を極端にまでやかましくいっていたが、高綱が見たところでは、それは形の上にだけ行われていて、僧たちの個人生活には
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また世間普通の生臭御前なまぐさごぜんであったなら、なんら問題になりはせんのだが、あの禅師が落ちたということで、修行というものも当てにはならぬものだ、聖道しょうどう畢竟ひっきょう魔行に勝てない、あの禅師が
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
従来の聖道しょうどう自力の僧は、やたらに自分にも行いがたい禁慾を強いる。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)