其が海中である事も、道傍の塚である事も、崖の窟である事もある。総称してをがんといふ。拝所即をがみである。
ぐわあは之と別に成り立つた語で、古くはがまであつたらしい。先に出た首里大巫の幼巫を以てした「のろがま」も同じ語である。又、那覇由来記にある「いべがま」は墓であつて、窟ではない。
“窟(やぐら)”の解説
やぐらは、現在の神奈川県鎌倉市にあたる相模国鎌倉とその周辺地域で、鎌倉時代中期以降から室町時代前半にかけて造られ使用された、横穴式の納骨窟または供養堂である。鎌倉市教育委員会によると、3000基以上が確認されている。現在では土砂崩れや宅地開発で破壊されたものも多く、残ったやぐらも風化で苔むした洞穴にしか見えないが、建立当時の内装は豪華であった。火葬人骨のほか多くの副葬品が納められていた。
(出典:Wikipedia)
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