科白かはく)” の例文
しかし抽斎は俳優のを、観棚かんぽうから望み見てたのしむに過ぎない。枳園は自らその科白かはくを学んだ。科白を学んで足らず、遂に舞台に登って梆子つけを撃った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
以上記する所は菊五郎が権太の科白かはくにつきての大概なり。
照葉狂言は嘉永の頃大阪の蕩子とうし四、五人が創意したものである。大抵能楽のあいの狂言を模し、衣裳いしょう素襖すおう上下かみしも熨斗目のしめを用い、科白かはくには歌舞伎かぶき狂言、にわか、踊等のさまをも交え取った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
俳優は種々な人物にふんして、それぞれ自然らしい科白かはくをしなくてはならない。それが自分に扮しているだけで、すでにあんな不自然に陥っている。あのまま青年俳優の役で舞台に出たら、どうだろう。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)