李恢りかい)” の例文
その人は、李恢りかいあざな徳昂とっこうといい、蜀中の賢人といわれ、士民の尊敬も浅くないので、綿竹めんちくの城にある趙雲からわざわざ書簡をそえて紹介して来たものであった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉懿ごい費観ひかん彭義ほうぎ卓膺たくよう、費詩、李厳、呉蘭、雷同、張翼、李恢りかい呂義りょぎ霍峻かくしゅん鄧芝とうし、孟達、楊洪あたりの人々でも、それぞれ有能な人材であり、まさに多士済々の盛観であった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
李恢りかい、私に代って、馬超の陣へ行ってくれ。御身なら必ず使命を果たすだろう」
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
王平と李恢りかいに命じて、これを固く守らせておいて、孔明自身は、夜ひそかに陳倉を脱し、馬岱ばたい、関興、張苞ちょうほうなどの大軍をつれて遠く山また山の間道を斜谷やこくを越え、祁山きざんへ出て行ったのである。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
李恢りかいという者で、泣かんばかり訴えた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)