放鷹ほうよう)” の例文
また、春秋十数年の後——但馬守の跡をついで将軍師範であった十兵衛三厳みつよしは、ある年、郷里の柳生にあって、野外に放鷹ほうよう中、忽然こつぜんと、急病で死んだ。
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
赤沢加賀守は、放鷹ほうようの名人として、また、鷹をよく飼う名家として、その頃、著名な人だった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが放鷹ほうようが目的ではない。君臣十騎ばかり徒士かち一隊をつれて、一日、山野を駈けあるいた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長は、家臣へそう云いおいて、初春はる早々、三河方面へ、放鷹ほうようの旅に出立したという。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
の流儀で、他の余技、書道も茶も放鷹ほうよう蹴鞠しゅうきくも彫刻も、やったものと思われる。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たかすえを八人の鷹匠にすえさせ、供の近習も多くは騎馬で、愛智川えちがわの近くまで遠乗りをかねて出かけた。信長の好きは、騎馬、角力、放鷹ほうよう、茶道といわれているくらい、狩猟かりは趣味のひとつだった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)