“把捉(はそく)” の例文
すなわち孔子学徒においても道の追究の無限性は把捉(はそく)せられていたのである。学の実益性などは彼らの全然説かないところであった。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
しかし腹の中では自分に媚(こ)びる一種の快感を味わった。それは自分が実際他(ひと)にそう思われているらしいという把捉(はそく)から来る得意にほかならなかった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
把捉(はそく)しがたい様々の世を渡つて、こゝに行きついた人間の、卑しさが、富岡には苦味(にが)いものでもあつたのだ。人間は、単純なものであつた。些細(ささい)なことで、現実はすぐ変化する。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
従ってそこには弟子たちの人物や性格、その問答の行なわれた境遇などが、ともに把捉(はそく)せられている。それが言葉の意味の裏打ちとなり、命題に深い含蓄(がんちく)を与えることになる。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
人類の教師がこういうものであれば、その真の伝記は右の結晶の経路を把捉(はそく)したものでなくてはならぬ。それは文化史的発展の理解であって、個人の生涯の理解ではないのである。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)