左近衛さこんえ)” の例文
とくに、こんどは、官軍六万をひきい、山陽山陰十六ヵ国からなにを徴用してもよい管領権までを賜わってきた左近衛さこんえ中将義貞なのだ。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
左馬寮さまりょう右馬寮うまりょうの馬が前庭に並べられ、左近衛さこんえ右近衛うこんえの武官がそれに添って列立した形は五月の節会せちえの作法によく似ていた。
源氏物語:33 藤のうら葉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
建保六年、二十七歳の年、正月には閑院内裏造営の恩賞として権大納言ごんだいなごん、三月左近衛さこんえ大将、十月内大臣、十二月右大臣に昇り、この年母政子も従二位した。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
もとより流鏑馬やぶさめに限ったことはござらぬ、朝廷にては五月五日の騎射、駒牽こまひき左近衛さこんえ右近衛うこんえの荒手結、真手結、帯刀騎射たてわききしゃというような儀式、武家では流鏑馬に犬追物いぬおうもの笠掛かさがけ
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
左近衛さこんえ少将で年は二十二、三くらい、性質は落ち着いていて、学問はできると人から認められている男であっても、格別目だつ才気も持たないせいで、第一の結婚にも破れたのが
源氏物語:52 東屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
左近衛さこんえノ中将にじょ
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
左近衛さこんえノ中将
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)