崇神すじん)” の例文
天照大神あまてらすおおみかみがそうである。崇神すじん天皇がそうである。邪馬台やまたい卑弥呼ひみこもそうである。かくて国家の統一は「祭事の総攬そうらん」において遂げられた。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
秩父は我国でも古く開けた土地の部に入る可き者で、知々夫国造ちちぶのくにのみやつこの創置されたのは、崇神すじん帝の朝にあるといわれている。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
然るに、第十代崇神すじん天皇は、御肇国天皇はつくにしらすすめらみことと称せられ給ふ聖主で、神武御創業後の偉業を達成せられてゐる。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
『日本紀』の崇神すじん垂仁すいにんの御朝の記事などに、韓人かんじんに命じて某々ぼうぼうの池を築かしめられたことが見える。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
第十代の天皇崇神すじんの時代には、盗賊がおこり、反乱が生じた。武埴安彦たけはにやすひこと妻の吾田あだが反逆した。そこで四道将軍をおいた。そうして、教化にしたがわない人民を征服させた。
日本書紀では、崇神すじん天皇の御代の末、朝貢の使が穴門あなと(今の長門)に来つたが、天皇崩御後なので、垂仁すゐにん天皇が父天皇の御名を取つて、任那みまなの国号を賜うたとある。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)