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寛延
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かんえん
ふりがな文庫
“
寛延
(
かんえん
)” の例文
寛延
(
かんえん
)
年代には幕府は長崎入港の唐船を十五艘に制限し、さらに寛政三年よりは一か年十艘以上の入港を許さなかった。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
その
画
(
が
)
は元祖清信が
歿年
(
ぼつねん
)
(享保十四年)の頃より
寛延
(
かんえん
)
三年の頃まで続いて
出
(
いで
)
しが故に、時として元祖清信の作と混同して
大
(
おおい
)
に
今日
(
こんにち
)
の研究者を苦しましむ。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
墓は大きい台石の上に高さ五尺ほどの楕円形の石を据えてあって、石の表には
慈望遊謙
(
じぼうゆうけん
)
墓、右に
寛延
(
かんえん
)
○年と彫ってあるが、磨滅しているので何年かよく読めない。
綺堂むかし語り
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
海賊赤格子九郎右衛門が召捕り処刑になったのは
寛延
(
かんえん
)
二年三月のことで、所は大阪千日前、弟七郎兵衛、遊女かしく、三人同時に斬られたのである。訴え人は駕籠屋重右衛門。
赤格子九郎右衛門の娘
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
寛延
(
かんえん
)
二
己巳年
(
つちのとみどし
)
の二月から三月にかけて、大坂は
千日前
(
せんにちまえ
)
に二つの首が獄門に
梟
(
か
)
けられた。
心中浪華の春雨
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
“寛延”の意味
《固有名詞》
日本の元号の一つ。延享の後、宝暦の前。1748年8月5日から1751年12月14日までの期間のこと。
(出典:Wiktionary)
“寛延”の解説
寛延(かんえん、寛󠄁延󠄂)は、日本の元号の一つ。延享の後、宝暦の前。1748年から1751年までの期間を指す。この時代の天皇は桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川家重。
(出典:Wikipedia)
寛
常用漢字
中学
部首:⼧
13画
延
常用漢字
小6
部首:⼵
8画
“寛”で始まる語句
寛
寛濶
寛々
寛永
寛政
寛文
寛恕
寛衣
寛闊
寛大