唐太からふと)” の例文
これより先寛政十年に近藤重蔵こんどうじゅうぞうは北蝦夷の探険を畢り、享和元年に間宮林蔵まみやりんぞう唐太からふとより満洲の地を跋渉ばっしょうして紀行を著した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
……唐太からふと島の事につき魯国との関係をすみやかに処分し、両国の境界を判然各国に知らしむる事、実に今日の急務と臆想せり。
黒田清隆の方針 (新字新仮名) / 服部之総(著)
ただ今までは山丹人毎年一次ずつ小船にて二、三そうずつ唐太からふと島の南縁に副う所に在る島の西端「ソウヤ」という所へ渡来して土人と交易をするなり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
千島唐太からふとの住民も、これを教化しさえすれば、この五村と同様、普通人と少しも差別のないものに成るとの事を、さすがに松陰程の経世家として、早速に感じた事でありました。
本州における蝦夷の末路 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
大艦を打造うちつくり、船軍を習練し、東北にしては蝦夷えぞ唐太からふと、西南にしては流叫りゅうきゅう対馬つしま憧々しょうしょうと往来し、虚日あることなく、通漕捕鯨し、以て操舟を習い海勢をさとり、しかる後往きて朝鮮
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
日本を天下第一の最良国とすべき法を論ずれば「カムサスカ」の土地に本都をうつし、西唐太からふと島に大城郭を建立し、山丹、満州と交易して有無うむを通じ、その交易に金銀を用いず品物同士の遣取やりとりなれば
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)