千宗易せんのそうえき)” の例文
型どおりの饗応きょうおうのあとは、例の、茶である。秀吉が茶をたて、千宗易せんのそうえきと、もひとり、妙な男がいて、晴季を主客に、もてなした。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
始めて独立した茶室を建てたのは千宗易せんのそうえき、すなわち後に利休りきゅうという名で普通に知られている大宗匠で、彼は十六世紀太閤秀吉たいこうひでよしの愛顧をこうむり、茶の湯の儀式を定めてこれを完成の域に達せしめた。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
「ありましたとも。——千宗易せんのそうえきという人間です。あんな名器を、なぜお眼に止められなかったか。惜しいことでした。もっとも、後となっても、遅くはありませんが」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわゆる「茶家さか」と呼ばれている者の門戸までが、ひっそりとしてこの道のさびれを思わせていた折に、千宗易せんのそうえきのすがたがここで見られたことは、久々の珍しさというよりは
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
見れば、まだ若いのに、道安は跛足びっこであった。——千宗易せんのそうえきの長男であるから、いわゆる大家の若旦那の風はあるが、そうした体なので、依怙地えこじできかない気性だといわれている。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ここの御亭主のお手ほどきは、初めに、その紹鴎がお導き申しあげたが、近ごろは、さかい千宗易せんのそうえきが伺って、おみがきをかけておる。されば、御上達はあたりまえともいえましょう」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼の座右ざゆうには、目につく者がひとり召し呼ばれていた。さかい千宗易せんのそうえきである。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
持って、泉州せんしゅうさかいへ行くがいい。かねは路用に。てがみは堺の千宗易せんのそうえきというものに宛ててあるから、その宗易に会って、身のふりかたを計るがいい。そちの天分を生かすように考えてくれるだろう
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
千宗易せんのそうえき(後の千利休せんのりきゅう)も、その一軒であった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)