初鹿野はじかの)” の例文
その際初鹿野はじかの源五郎忠次は主君義信を掩護えんごして馬前に討死した。越軍の竜字の旗は、いよいよ朝風の中に進出して来る。
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
本丸には、初鹿野はじかの伝右衛門、内藤家長、松平重勝などが、協力して、数正の離脱したあとを預かっていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
初鹿野はじかのから猿橋までを歩いた。初狩では余の大伯父みどうの小笠原を見た。(一七—一八)
初鹿野はじかので汽車を下りて、駅前のあわれな宿屋に二晩泊ったが、折あしく雨が続くのでそこを去った。そしてその夕、甲府を経て右左口うばぐちにゆく途中で、乱雲の間から北岳の一角を見て胸の透くのを覚えた。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
それには初鹿野はじかの駅で下車して焼山道を取るか、初狩駅に下車して真木まぎ川沿いの道を取るか、二の方法がある。前者は行程は近いが後者の方が興味がありそうに思われたので、それに依ることに決した。
初旅の大菩薩連嶺 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
「さぞ、お冷え遊ばしましょう。もう程なく、初鹿野はじかのどのも、お帰りでございましょうから……」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勝頼、猿橋の方を指して退いて居たが、従って居るのは初鹿野はじかの伝右衛門三十二歳、土屋右衛門尉弟惣蔵二十歳であった。惣蔵、容姿端麗にしてしかも剛気であったので、勝頼の寵愛深かった。
長篠合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「うーむ、あれは甲州の初鹿野はじかの伝右衛門という話せるさむらいだ。——何しにきたのか」
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
初鹿野はじかの伝右衛門は、大股に、城門をうしろに、真っ暗な城下町の方へ歩いていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当日の案内接伴役は、初鹿野はじかの伝右衛門と曲淵まがりぶち庄左衛門であった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
初鹿野はじかの伝右衛門が、それを救うように
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)