体仁なりひと)” の例文
本来、皇太子でおわすべきを、上皇と美福門院のおん仲に生まれた体仁なりひと春宮とうぐう(皇太子)の位にかれたため、親王にとどめられているお方だった。
そもそも永治えいじ元年の昔、なんの罪もないのに、父鳥羽院のめいによって、自分は帝位を三歳の体仁なりひとにゆずって退位したが、この心をみても自分が人欲ふかいとはいえまい。
ところが、帝の父、鳥羽上皇もまた、寵姫ちょうき藤原得子とくこ(美福門院)とのあいだに、皇子体仁なりひとの誕生をみられた。
かねてこのことはあろうと予想されていたが、とつとして、崇徳天皇の御退位と——同時に、皇太子体仁なりひとの受禅が実現され、同月二十七日、即位式も、とり行われた。