亀田鵬斎かめだほうさい)” の例文
宝暦十二年壬申じんしん三月十一日越後国新潟に生れその地の儒医高田仁庵につきて詩書を学び、少壮江戸に出で亀田鵬斎かめだほうさいの門に入った。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その時分東両国むこうりょうごくに、万八という料理おちゃやがあって、書画の会があると亀田鵬斎かめだほうさいという書家ひとや有名な絵かきたちが来てな、おれを弟子にしようとみんなが可愛がってくれた。
亀田鵬斎かめだほうさいといふ、偉い学者が、江戸にゐた。その人は字がうまいので、天下に勇名であつた。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
おおいニ以テ可トシコレヲ慫慂しょうようス。すなわチ屋ヲ駒籠亀田鵬斎かめだほうさいガ故居ノ近傍ニしゅうス。前ハ老杉ニ対シ、後ハすなわチ密竹掩映えんえいス。破屋数間、蕭然しょうぜんタル几案きあん、始メテ老子ヲ講ジヌ。後ニ市ヶ谷ニ移居ス。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)