下学集かがくしふ)” の例文
(後の板もあり)さて和名抄ありて后五百年ちかくをへて文安年中下学集かがくしふといふ字書じしよありき、これも元和三年はじめて板本となりたり。
新撰字鏡に鮭の字をいだしゝはせいけいと字のあひたるを以て伝写でんしやあやまりをつたへしもしるべからず。けい河豚ふぐの事なるをや。下学集かがくしふにもさけ干鮭からさけならいだせり。
京伝翁が骨董集こつとうしふに(上編ノ下)下学集かがくしふを引て、羽子板は文化十二年より三百七十年ばかりのさき、文安のころありしものにて、それよりもなほさきにありし事はつまびらかならずといはれたり。
京伝翁が骨董集こつとうしふに(上編ノ下)下学集かがくしふを引て、羽子板は文化十二年より三百七十年ばかりのさき、文安のころありしものにて、それよりもなほさきにありし事はつまびらかならずといはれたり。