上泉かみいずみ)” の例文
「いや、きょうはこれでおいとまいたしたい。ただ上泉かみいずみ殿へお願いがござる。明日またお訪ね申しますゆえ、もう一度、お仕合くださいますまいか」
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
承応の時代に最も行われている剣法の諸流は上泉かみいずみ真蔭しんかげ諸岡もろおかの神道無念、高弟こうてい兎角とかく微塵みじん流、将軍家流とも云うべき柳生、宮本没後に伝わるところの二刀、新免正伝派
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
石舟斎の壮年時代に、真に悟道の眼をひらかせてくれた恩人は、上泉かみいずみ伊勢守であったが、その伊勢守を、初めて柳生ノ庄へ連れて来て紹介ひきあわせた者は、胤栄であったのである。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「じゃあ、幾歳いくつになったら、上泉かみいずみ伊勢守や、塚原卜伝のように、沢山お供をつれて歩くの」
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
覚禅房胤栄かくぜんぼういんえいという人が、小柳生こやぎゅうの城主柳生宗厳むねよしのところへ出入りしたり、また宗厳のまじわりのある上泉かみいずみ伊勢守などとも昵懇じっこんにしていた関係から、いつの間にか武芸に興味をもち
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上泉かみいずみ塚原以後、柳生家の中興石舟斎をのぞいては、まず当今の名人——名人といっては過賞なら、達人といってもさしつかえあるまいと、もっぱら称揚するじんが多いようでござるが
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上泉かみいずみ信綱があるし、塚原土佐守があるし、柳生宗厳やぎゅうむねよしがあって、すでに剣技は禅、茶、儒学、兵、治、武士訓などの日常のあらゆる生活のものを基盤にして「道」として確立しかけてはいたが
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と常にいって、ひたすら上泉かみいずみ伊勢守信綱の徳を忘れなかった。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)