“りゅうじゅん”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
隆準66.7%
劉循33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
そして言語には尾張の国なまりがなく純然たる江戸弁であったそうである。三島中洲のつくった碑文には「君ハ龐眉ほうび隆準りゅうじゅん孱然せんぜんタル虚弱、かたちハ常人ヲエズ。」
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その隆準りゅうじゅんなるを以ての故に、抽斎は天狗てんぐと呼んでいた。佐藤一斎、古賀侗庵こがとうあんの門人で、学殖儕輩せいはいえ、かつて昌平黌しょうへいこうの舎長となったこともある。当時弘前吏胥りしょ中の識者として聞えていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
劉璋の嫡子劉循りゅうじゅんは、この急変におどろいて、北門の一方からわずかな兵と共に、取る物もとりあえず、逃げ出していた。一目散いちもくさん、成都をさして。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雒城らくじょうのうちの兵力は何ほどか。劉璋の嫡子劉循りゅうじゅんたすけておるという張任とはどんな人物か」などと質問した。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ほどなく、劉璋の嫡子劉循りゅうじゅん、その祖父呉懿ごい、二万余騎をひきいて、雒城へ援けにきた。この軍のうちには、蜀軍の常勝王といわれた呉蘭ごらん将軍、雷同らいどう将軍なども加わっていた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)