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劉循
ふりがな文庫
“劉循”の読み方と例文
読み方
割合
りゅうじゅん
100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
りゅうじゅん
(逆引き)
劉璋の嫡子
劉循
(
りゅうじゅん
)
は、この急変におどろいて、北門の一方からわずかな兵と共に、取る物もとりあえず、逃げ出していた。
一目散
(
いちもくさん
)
、成都をさして。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
雒城
(
らくじょう
)
のうちの兵力は何ほどか。劉璋の嫡子
劉循
(
りゅうじゅん
)
を
扶
(
たす
)
けておるという張任とはどんな人物か」などと質問した。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ほどなく、劉璋の嫡子
劉循
(
りゅうじゅん
)
、その祖父
呉懿
(
ごい
)
、二万余騎をひきいて、雒城へ援けにきた。この軍のうちには、蜀軍の常勝王といわれた
呉蘭
(
ごらん
)
将軍、
雷同
(
らいどう
)
将軍なども加わっていた。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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(1作品)
見る
“劉循”の解説
劉 循(りゅう じゅん)は、中国後漢末期の武将。本貫は荊州江夏郡竟陵県。益州牧劉璋の長子。妻は龐羲の娘。
建安18年(213年)、劉備の攻撃から雒城を守った。固守すること1年に及んだが、建安19年(214年)に雒城は陥落。同年内に成都の劉璋も降伏した(劉備の入蜀)。
劉備の支配下では、劉璋は荊州の公安県に移住させられたが、劉循は益州に留められ、奉車中郎将に任じられた。
(出典:Wikipedia)
劉
漢検準1級
部首:⼑
15画
循
常用漢字
中学
部首:⼻
12画
“劉”で始まる語句
劉
劉玄徳
劉表
劉備
劉曄
劉皇叔
劉封
劉備玄徳
劉禅
劉璋