“まさよし”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
正睦33.3%
正義33.3%
政美16.7%
正福16.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
ここに於て幕府は閣老堀田備中守ほったびっちゅうのかみ正睦まさよし〕を使節として京都に送って、京都を圧迫して批准を得ようという企てをしたが、全国の有志者が大騒ぎ、堀田備中を途中で殺すという騒ぎ
文久二年に鹿太は十五歳で元服して、額髪ひたひがみり落した。骨組のたくましい、大柄な子が、大綰総おほたぶさに結つたので天晴あつぱれ大人おとなのやうに見えた。通称四郎左衛門、名告なのり正義まさよしとなつた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
殊に政義が最後に勤めてゐた時は、同僚が四人あつて、其世禄は平賀勝足かつたり四百石、戸川安清五百石、佐野政美まさよし六百石、大沢康哲やすさと二千六百石であつたから、三千二百五十石の政義は筆頭であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
正弘六世の祖備中守正邦まさくにすゑの子に小字せうじを百之助と云ふ人があつた。後の隼人正容まさかたである。正徳五年正月に父正邦がみまかり、三月に兄伊勢守正福まさよしが所領の内五千俵を割いて正容に与へた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)