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とよら
四月末であり、
舟艇、戦艦、すべて軍船の
艤装をした大小五百余
艘の船影は、その日、府中
豊浦の海を出て行った。
弁は扇拍子をとって、「
葛城の寺の前なるや、
豊浦の寺の西なるや」という歌を歌っていた。
タラシナカツ彦の天皇(仲哀天皇)、
穴門の
豐浦の宮また
筑紫の
香椎の宮においでになつて天下をお治めなさいました。
帶中つ
日子の天皇
一、
穴門の
豐浦の宮
二また
筑紫の
訶志比の宮
三にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、
大江の王が女、
大中津比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
香坂の王、
忍熊の王二柱。