“とよら”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
豊浦71.4%
豐浦28.6%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
四月末であり、舟艇しゅうてい、戦艦、すべて軍船の艤装ぎそうをした大小五百余そうの船影は、その日、府中豊浦とよらの海を出て行った。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弁は扇拍子をとって、「葛城かつらぎの寺の前なるや、豊浦とよらの寺の西なるや」という歌を歌っていた。
源氏物語:05 若紫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
タラシナカツ彦の天皇(仲哀天皇)、穴門あなと豐浦とよらの宮また筑紫つくし香椎かしいの宮においでになつて天下をお治めなさいました。
帶中たらしなか日子ひこの天皇穴門あなと豐浦とよらの宮また筑紫つくし訶志比かしひの宮にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、大江おほえの王が女、大中津おほなかつ比賣の命に娶ひて、生みませる御子、香坂かごさかの王、忍熊おしくまの王二柱。