豊浦とよら)” の例文
旧字:豐浦
次には山口県の豊浦とよら郡でもネンガラ、海を渡って筑前ちくぜんの大島でネンガラ、これも遊びかたは同じだが、注意すべきことには御産おさんのあった家の前で
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
斉明天皇の御代に我軍が大陸で敗績したり、好い方では「かつらぎ寺の前なるや豊浦とよらの寺の西なるや、おしとど、としとど、桜井に白璧しらたましづく……」
震は亨る (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
四月末であり、舟艇しゅうてい、戦艦、すべて軍船の艤装ぎそうをした大小五百余そうの船影は、その日、府中豊浦とよらの海を出て行った。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弁は扇拍子をとって、「葛城かつらぎの寺の前なるや、豊浦とよらの寺の西なるや」という歌を歌っていた。
源氏物語:05 若紫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
いわれてみれば、古記に“豊浦とよらだん”などという文字もある。「玉葉」の著者九条兼実は、清盛嫌いで、反平家派の巨頭だが、さすがにこの人は、団ノ浦と書いて、檀とは書いていない。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)