“ちんきょう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
陳矯66.7%
陳橋33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
侍中の劉廙りゅうい辛毘しんび劉曄りゅうよう、尚書令の桓楷かんかい陳矯ちんきょう、陳群などを主として、宗徒の文武官四十数名は、ついに連署の決議文をたずさえて、重臣の大尉賈詡かく、相国の華歆かきん
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「孔明、すでに荊州を取る。荊州の城にいた魏の長史陳矯ちんきょうは、城に旗の揚がるよりも先に、孔明に生擒いけどられてしまったにちがいありません。兵符は常に、陳矯が帯びていたものです」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると、門楼の上からその様子をうかがっていた長史ちょうし陳矯ちんきょう
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると兵部尚書ひょうぶのしょうしょ陳矯ちんきょうがまたすすみ出て、やにわに声を荒らげ
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幼君では国政軍事、成り難しとあって、周の一将軍趙氏ちょうしが、全軍から推戴されて、その帝位を代っていだ。——これがそうの太祖であり、この史事を世に「陳橋ちんきょう譲位じょうい
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……朝廷歴代の文書庫ふみぐらには、祖先柴世祖さいせいそから宋の太祖たいそへ世を譲ッた——『陳橋ちんきょうノ譲位』——の写シ文もかならず収めてあるはずですから、明判たちどころに、殷直閣いんちょっかくの暴をらし
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)