“たかゆき”の漢字の書き方と例文
語句割合
高猷100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
庚子かうしは天保十一年で、拙堂は藤堂高猷たかゆき扈隨こずゐして津から江戸におもむいたのであらう。記を作つたのは安政中の事かとおもはれる。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
律詩の題言に「伊賀中将公名士ヲ本邸ニ招飲ス余モマタコレニあずかル。」云々。藤堂和泉守高猷たかゆきは従四位左少将から「出格の思召おぼしめしを以て」左中将に昇進したのでその祝宴が開かれたのである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
後に聞けば、藤堂家の夫人だそうであった。藤堂家の下屋敷は両国橋詰にあって、当時の主人は高猷たかゆき、夫人は一族高崧たかたけじょであったはずである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この年に藤堂高猷たかゆき夫妻は伊勢参宮をすることになっていて、五百は供のうちに加えられていた。忠兵衛は高猷の江戸を立つにさきだって、五百を家にかえらしめたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
五百はすぐに中臈ちゅうろうにせられて、殿様づきさだまり、同時に奥方祐筆ゆうひつを兼ねた。殿様は伊勢国安濃郡あのごおり津の城主、三十二万三千九百五十石の藤堂和泉守いずみのかみ高猷たかゆきである。官位はじゅ四位侍従になっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)