)” の例文
秋日が隈なくさす草の間に伐り残した松がところどころっている。その中に軽い土くれと松落葉を集めて洋傘高に盛り上っている。
茸をたずねる (新字新仮名) / 飯田蛇笏(著)
されど吾人ごじんにしてもしこの社会より貧乏を根絶せんと要するならば、これら三個の条件にかんがみてその方策をつるのほかはない。
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
平次は龍の口から取った匕首のこみをその穴にはめると、匕首はちょうど床に植えたように、物凄い刃先を上にしてピタリとちます。
往還わうくわんよりすこし引入ひきいりたるみちおくつかぬのぼりてられたるを何かと問へば、とりまちなりといふ。きて見るに稲荷いなりほこらなり。
もゝはがき (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)
「偉い、さすがに無電技師だけあって観察が細いぞ、さすがの俺もそこ迄は気がつかなかった。——今度は全く君に手柄をてられたよ」
流血船西へ行く (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
小勢が勝たぬには定まらず、あわよくば此方が切勝って、旗を天下につるに及ぼうも知れず、思召おぼしめしかえさせられて然るべしと存ずる
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
其れに切腹の場に立会ふ立烏帽子たてゑぼしを着た二人の勅使が「勅使」を前にてさせて臨場し、草鞋穿わらぢばきまゝ上段の趺坐あぐらを掻き
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
今は特に工藝の面で日本をて直さねばならぬ時に来ました。今後手仕事の要求はいよいよ深く感じられるでありましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
彼等が第一次革命の旗幟きしとした憲法の制定、国民議会の召集にすら、各自に異をてて何時いつ定まるとも果しが着かない。
その中央の浪打際に近く十本の磔柱はりつけばしらて、異人五人、和人五人を架けつらねたり。異人は皆黒服、和人は皆白無垢しろむくなり。
白くれない (新字新仮名) / 夢野久作(著)
彼等自ら其天地を劃り、自ら其党派をてゝ曰く、真美は唯我党のみ知れり、純文学は唯我党のみあづかれり、門外漢をしてくちを揷ましむるなかれと。
詩人論 (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
もしこれ等がな消えせて山上にっている一本松のように、ただ一人、無人島の荒磯あらいそに住んでいたらどうだろう。
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
伝統は、失わんとするが故に、改めて愛することを強いられた心にてられる。『千載集』はあらゆる意味において、中世和歌伝統の淵源えんげんとなった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
唯、得難きは当年のル・メルキウルに、象徴主義の大旆たいはいてしが如き英霊底えいれいていかん一ダアスのみ。(一月二十六日)
つつじヶ岡おか隊ととなえられて黒木第一軍に属し、初陣の鴨緑江おうりょっこうの渡河戦に快勝し、つづいて遼陽戦に参加して大功を
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
殊に一部の政客中に些々ささたる感情に捉えられてことさらに異をて、いわゆる小異を捨てて大同に合するの雅量を欠く
流転の力汝に迫らず、無常のちから汝をおそはず。「自由」汝と共にあり、国家汝とともてり、何をかおそれとせむ。
富嶽の詩神を思ふ (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
前人の詩、多くは一時の感慨をもらし、単純なる悲哀の想を鼓吹するにとどまりしかど、この詩人に至り、始めて、悲哀は一種の系統をて、芸術の荘厳を帯ぶ。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
それは事実において至難なるわざではあるが、私らの胸に当為とういとしてて、みずからの心をむち打たねばならない。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
しかし、それはその時に、き上がった感情です。あなたに対しては、心の中で、すでに、愛さなければならないという規範きはんを、打ちてていたと思います。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
北の方から、しずしずと下って来るのは、アラスカを通ってきた飛行船隊に違いない。磯崎岬いそざきみさきの、この可憐かれんなる防空監視哨は、思い懸けない大手柄をてた。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
この勅語は、天皇の徳を、天皇みずから、人民にむかって誇り、「徳をつること深厚に」と書いてある。
頭屋とうやの制度のなお厳重な土地では、これをその年の頭にさされた群飲ぐんいんの家の前にてたが、たいていは道の辻や馬場の端に、すでに柱場が定められているから
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その以来、わたしの町内に火の見梯子は廃せられ、そのあとに、関運漕店せきうんそうてんの旗竿が高くっていたが、それも他に移って、今では立派な紳士の邸宅になっている。
思い出草 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「あんさんのお父つぁんに都合ぐつが悪うて、私は顔合わされしまへんがな」柳吉は別に異をてなかった。
夫婦善哉 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
例えば中国一たび亡びんか、日本も必ず幸いなし。何ぞそれく国家の旗を高くてるをまかせんや。嗚呼ああ君、われら、今彼らの滅種政策の下に嫉転えんてん呼号するもの。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
ひまさへあれば下宿へ出掛でかけて行つて、一人一人ひとりひとりに相談する。相談は一人一人ひとりひとりかぎる。大勢おほぜいると、各自めいめいが自分の存在を主張しやうとして、やゝともすれば異をてる。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
「かくはるばる蛮土に入って、せっかく、功をて給いながら、誰も、蜀の官人を留めて置かれないことは、草を刈って、雨を待つようなものではありませんか」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
りひろげた努力の甲斐も見えて来た。夜になってもにぎやかであった。ここに、不日——近々のうちに、彼ら自身が、そのあるじとなって、村がうちてられる。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
御濠おほりの石垣が少しくずれ、その対岸の道路の崖もくずれている。人工物の弱い例である。しかし崖にった電柱の処で崩壊の伝播でんぱが喰い止められているように見える。
静岡地震被害見学記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「大阪の役に児子の功をてた事があったが、今日児孫の先登を見る」と云って涙を流して喜んだ。
島原の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それも四本を接合せて漸く六尺位になる柱一本をてたに過ぎない、この接合せるようにしたのは無論運搬が困難であるからであります、立山の高さは不明であります
越中劍岳先登記 (新字新仮名) / 柴崎芳太郎(著)
忠之は五年の後、寛永十五年の島原役に功をて、中二年置いて十八年に長崎番を命ぜられた。此時から從來平戸に來たオランダ舟が長崎に來ることになつたのである。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
テーブル掛けの上へ、太い指先を平たく押しつけて、主要なところへ標柱ひょうちゅうてたつもりになる。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
平民社解散の後、僕は石川三四郎君を勧めて「新紀元社」をてた。キリスト教社会主義とでも、いへばいへよう。徳富蘆花君を引つ張りだした。安部君も助けてくれた。
この四元素が離合集散して万象を形成して居るのだという所謂機械説をてたのであります。
人工心臓 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
たゞ、当事者がそれを、欲し、プランをて、これを実行に遷せばよい時機なのである。
日本映画の水準について (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
彼の議論がってつ所の基礎、すなわち、穀物の価格は常に地代を生ずるということを譲歩するならば、彼が主張するすべての結果が当然それに随伴すべきことは明かである。
モーナルーダオは前記の三人と毎日のようにこの耕作小舎に集っては、暴動を起すべき時期、順序、銃器の入手方法、料食の貯蔵法など、巨細こさいにわたって、計画をてて行った。
霧の蕃社 (新字新仮名) / 中村地平(著)
中条流より出た父九郎右衛門の跡を継ぎ名を五郎左衛門、入道してのちに勢源、自ら富田流の一派をてて無双の名人とされて居た。越前の国宇阪の荘、一乗浄教村の住人である。
巌流島 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
したがって世間とちがうところがあって、何故ああ窮屈に異をてるのかと不審がられる向きもあろう。世間の例によらない商売の仕様をするので、お得意先に御不便なこともあろう。
駒井家から出た者も、神尾から出した者も、一様に功をててみれば、恨恋うらみこいはない。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
本当に悪い悪戯いたづらをしやがるな。十字架をおつつといて猫の死骸をほじくらせやがる。それつてえも役人共が死んぢまつた者の棺桶をほじくり返へして迄検べるやうなしつつこいマネを
かかる考のもとにワリニャーニは少年のための学校セミナリヨや専門の学林コレジヨなどの計画をて、有馬には早速セミナリヨを造った。これはカブラルの方針とはまるで逆であった。
鎖国:日本の悲劇 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
円明流から分派して自流をて、江戸下谷は練塀小路に、天心法外流の町道場をひらいている弓削法外、柿いろ無地の小袖に、同じ割羽織を重ね、うなずくたびに、合惣がっそうにとりあげた銀髪が
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
支郡を理解するには先づ支那語を——といふ素朴な見方につてゐる、これらごもつとも説の生み手は、身振の大きな所謂我国の『支那論客』あたりの当局への献策などから端を発したものだらう。
小熊秀雄全集-20:大波小波 (新字旧仮名) / 小熊秀雄(著)
かのいたずらに暗中に摸索し神学的虚構物につきて好事的詭弁を弄するが如きは、正に愚人の閑事業たるに過ぎない。われ等は飽まで、現実の生活に即して教をてる。要約すれば左の三部分に分れる。
異をちょっとでもてようとすれば、世間がすぐに圧迫おさえつけます。そのよい例がこの私で。私の狂言の流派といえば、ご承知の通り鷺流なので、大蔵流と相待ちまして、幕府方のお狂言でござります。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
いつぽんの桜すずしく野にてりほかにいつぽんの樹もあらぬ野に
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)