なま)” の例文
旧字:
と言つても、相手は町家風の——寧ろ素人らしくない媚となまめかしさを持つた女ですが、平次はかうでも呼びかける外はありません。
ある夜彼がまた洞穴の奥に、泣き顔を両手へうずめていると、突然誰かが忍びよって、両手に彼をいだきながらなまめかしい言葉をささやいた。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
薫は女のようななまめかしい両腕で涙を拭いた。小初は砂金のようにこまかく汗の玉の吹き出た薫の上半身へ頭をもたれ薫の手をとった。
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
女郎免じょろうめん傾城けいせい屋敷などというと人はすぐになまめかしい伝説を想像したがるが、これも本来はまた神に仕えて舞う女性の名であった。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その通りは、すべての都会にあるような混乱された一区劃で、新建しんだちで、家そのものさえなまめかしい匂いとつやとをもっているのであった。
幻影の都市 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
如何にもそれは死体とは考えられぬ程なまめかしい色艶いろつやであった。犯人は死体化粧によって、そこに一つの芸術品を創造したのだ。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
見ると、はぎの乱るる垣根越しに白い横顔——下婢かひを連れてたたずんだのが、細かい葉の間からなまめかしい姿をチラつかせている。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
顎十郎は、毒気をぬかれて、うすぼんやりと焚火のそばへ跼みこむと、女は裾を直し、改めてなまめかしく横坐りして焚火に手を翳しながら
顎十郎捕物帳:01 捨公方 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
この時、今十五分も一緒に話し合ったならば、どうなったであろうか。女の表情の眼は輝き、言葉はなまめき、態度がいかにも尋常よのつねでなかった。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
お松はあわてて、あのなまめかしい手紙を自分の懐ろへ押入れて、兵馬の前へ丁寧にお辞儀をしながら、そっと涙を隠しました。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
『偽にもせよ、藤十郎殿から恋をしかけられた女房も、三国一の果報者じゃ』と、なまめいた京の女達は、こう云い添えた。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
この紅蓮は花びらの全面が濃い紅色なのであって、白い部分は毛ほども残っていない。実になまめかしい感じなのである。
巨椋池の蓮 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
年輩の先生の事だから、なまめかしい回想などを若いものに聞かせるのはわざとつつしんでいるのだろうと思った。時によると、またそれを悪くも取った。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
だが、行きついたその吉原は、灯影ほかげなまめかしい口説くぜつの花が咲いて、人の足、脂粉の香り、見るからに浮き浮きと気も浮き立つような華やかさでした。
何事かといぶかりつつも行きて見れば、同志ら今や酒宴しゅえんなかばにて、しゃくせるひとのいとなまめかしうそうどき立ちたり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
寝衣ねまきか何か、あわせ白地しろじ浴衣ゆかたかさねたのを着て、しごきをグルグル巻にし、上に不断の羽織をはおっている秩序しどけない姿もなまめかしくて、此人には調和うつりい。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
徒歩競走の選手だっただけあって、女にしては長く、生れつき色の白いなめらかな皮膚に薄青く静脈の透いて見える二本の足は、澤の目の前になまめかしく並んでいた。
九月一日 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
祇園の境内では昔ながらの、桜の老木が花を咲かせて、そよろと吹き過ぎる微風につれられ、人に知られず散っていたが、なやましくもなまめかしい眺めであった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
憂いのある白皙はくせきの顔に、乱れかかる髪の二筋三筋が、どうかするとなまめかしいほども美しい印象だった。
城中の霜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
寝室の口に立った修験者は耳をそばだてました。几帳のかげの話は、生暖かな夜の空気に融け込んでなまめかしく聞えました。修験者は狂人きちがいのようになってけ込みました。
宇賀長者物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
上海シャンハイに挙行された東邦大会の選手権把持者——だが、女優のNはなまめかしい嘔吐おうとを空中に吐いた。
飛行機から墜ちるまで (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
夜の深みにうなだれた、白い、しおれかかった花のような立すがたの——襟あしの、横がおの、何という悩ましさ、なまめかしさ——五助の魂は、おののかずにはいられぬ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
というなまめかしい声を、耳のすぐ傍で聞いたように思ったので、彼はハッとして眼を見開いた。
童貞 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
寄宿育ちの和作にとつて、このなまめかしい空気は子供の時にはじめてかいだ海の匂に似てゐた。
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
社の裏の方は、細い道があって、そこには玉やという貸席や、堅田という鳴物師などが住んでいるなまめかしい空気があった。ずっと前には、この辺も境内であったのであろう。
なまめかしい、江戸の花街いろまちで聞く恋慕流しを、この深山の奥で——大次郎は耳を疑いながら、弾かれたように三角石を離れて、神社の横の甲斐口へ向い、両手で声を囲んで
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
今日は姉妹の姿が人の目をいて、夏草の香に埋もれた驛内も常になくなまめいてゐる。
鳥影 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
就中なかんずくあの女は(おっさんに代って貰ったあの娘だ)キイキイという金属的な笑い声を立てて笑いこけたのだ。あの白い腿が笑いのためになまめかしく痙攣けいれんするのを俺ははっきり見た。
(新字新仮名) / 梅崎春生(著)
独照が「うかなすつたのかい。」と訊くと、娘はなまめかしい京言葉で理由わけを話した。それに依ると、娘は中京なかぎやう辺の商人あきんどの一粒種だが、今日店の者大勢と一緒に山へ茸狩たけがりに往つた。
例えば歌麿うたまろの絵画をみて、彼のイデヤがエロチシズムへのなまめかしき没落であることを、明らかにはっきりと知り得るように、芸術の場合に於ては、表現のみが真実のイデヤを語る。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
その隣には“喜久本”という、ごくの堅気かたぎな、なまめいた感じのちッともない待合があった。その反対の側には、“和倉温泉”という名の湯屋があり、隣に、煙草屋を兼ねた貸本屋があった。
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
こんな時でも此女にはなまめかしいと思はれるこなしがちつとも見えない。
二黒の巳 (新字旧仮名) / 平出修(著)
おくらはその後何処へ行ってしまったか、またおくらに使われていた年の若いなまめかしい、怪しげな女共はやはりいっしょになっているものか……誰も、その行衛ゆくえや消息を聞いたものがなかった。
凍える女 (新字新仮名) / 小川未明(著)
なまめかしい婦人の踊る物音や、あたしのラバさんなどゝいふ声が響いたりするところに息子を置くのは教育の為に如何かと案じて住居のことも考へるのだが女房をんで貸家探しなんていふことも
自烈亭 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
また仔猫こねこ同志がよくこんなにしてふざけているがそれでもないようである。なにかよくはわからないが、とにかくこれは非常になまめかしい所作であることは事実である。私はじっとそれをながめていた。
交尾 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
障子しょうじふすまとを、一つ一つ開けて行ったが、果して、誰も居なかった。若い女の体臭たいしゅうが、プーンとただよっていた。壁にかけてあるセルの単衣ひとえに、合わせてある桃色の襦袢じゅばんえりが、重苦しくなまめいて見えた。
夜泣き鉄骨 (新字新仮名) / 海野十三(著)
なまめかぬほど、にゑみてすずもほそぼそ
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
なまめく文字は知らぬ身の
花守 (旧字旧仮名) / 横瀬夜雨(著)
なまめいた昼の光の肉色にくいろ
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
顔を挙げて見ると、空の色よりも青い小袖、ほの白い顔があかりの側にパッと咲いて、赤い唇だけが、珠玉の言葉を綴ってなまめかしく動きます。
内は前栽せんざいから玄関もほかの青楼せいろうとはまるで違う上品なやかたづくりだ。長い廊から廊の花幔幕はなまんまくと、所々の鴛鴦燈えんおうとうだけがなまめかしいぐらいなもの。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上のお小夜さよかえでのやうなさびしさのなかに、どこかなまめかしさを秘めてゐた。妹のお里はどこまでも派手であでやかであつた。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
無遠慮で乱暴だが、しかし色っぽくなまめいた仕草だった。前川は、ウィスキイと炭酸水とを別々に、口に運びながら
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
男は三十四五歳の、髪の毛を房々ふさふさと分けた好男子、女は二十五六歳であろうか、友禅ゆうぜん長襦袢ながじゅばんの襟もしどけなく、古風な丸髷まるまげびんのほつれなまめかしい美女。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
奇態なことにその提灯の紋所もんどころが、大名屋敷や武家屋敷なぞに見られる紋とはあまりにも縁の遠い、丸に丁と言う文字を染めぬいた、ひどくなまめかしい紋でした。
南壁の花を持って立っている姿などは、アマゾンの像といってもいいほどに強靱きょうじんでそうしてなまめかしい。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
そのためでもありましょうか、こういうなまめかしい装飾をいつの間にか軽蔑けいべつする癖が付いていたのです。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それは殺気を帯びてもゐれば、同時に又妙になまめかしい、云はば荒神の棚の上に、背を高めた猫と似たものだつた。二人はちよいと無言の儘、相手の目の中をうかがひ合つた。
お富の貞操 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
「とんだ事ねえ、さあいらっしゃい」なまめいた女の声がして、つづいて白い手が伸びて来た。
十二神貝十郎手柄話 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
さんざなまめかしいところを見せつけられて、梅花の髪油あぶらの匂いを嗅ぎこまされて、このまま庫裡くりに引き取ったところが、思いがのこって、かえって、どうにもならなかったろうぜ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)