だん)” の例文
恭忠は備後国福山の城主阿部あべ伊勢守正倫まさともおなじく備中守正精まさきよの二代に仕えた。そのだん枳園を挙げたのは、北八町堀きたはっちょうぼり竹島町たけしまちょうに住んでいた時である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
輿こしにかゝれておしろへはせつけられまして、「小島若狭守がだん新五郎十八歳因病気柳瀬表出張せざる也、只今籠城いたし、全忠孝
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
渋沢だんが孔子を先生扱ひにするやうに、一体富豪かねもちすべて哲学者が好きらしい。何故といつて、孔子は色々むつかしい事を聴かせて呉れる上に滅多に金を
世上の人はことごとく、彼ら自身の問題に走り、そがために喜憂すること、戦争以前のそれのごとくに立ち返った。けれども、だんは喜憂目的物を失った。
号外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
『東京日日新聞』が関直彦氏の手を離れて伊東巳代治だんの手に移ると同時に、菫坡老人も社を去ったので、わたしは老人に接近する機会を失ってしまった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
つたく、唐土もろこし長安ちやうあんみやこに、蒋生しやうせいふは、土地官員とちくわんゐんところ何某なにがしだんで、ぐつと色身いろみすましたをとこ今時いまどき本朝ほんてうには斯樣こんなのもあるまいが、淺葱あさぎえり緋縮緬ひぢりめん
麦搗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
当時余は都新聞の一社員であった、都新聞へ入社したのは当時の主筆田川大吉郎氏に拾われたので、新聞の持主は楠本正敏だんであり、余が二十二歳の時であった。
生前身後の事 (新字新仮名) / 中里介山(著)
だんは最後の尚泰しょうたい王の令弟で、明治この方の沖縄の変遷史をよく身を以て体験された方でありました。非難する人もありますが、たしかに稀有けうな人物でありました。
沖縄の思い出 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
かかる饗応きょうおうの前でみだりに食うものでないと言い聞かされ、だんさだめし岩倉公の御不興ごふきょうを受けたであろうと思いしが、翌日にいたりこうより昨日さくじつ来た青年は菓子がすきだと見えるというて
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「はい。——ひとくちに申せば、岩松家の祖先時兼は、足利家六世のだんですが、父の勘気をうけて、新田義重の食客となり、義重のむすめ来王御前をめとって領下の岩松に住みました」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吾人ごじんが今日生きている時代は少壮の時代である。過去を顧みるほどに老い込んだ時代ではない。政治に伊藤侯や山県侯を顧みる時代ではない。実業に渋沢だんや岩崎男を顧みる時代ではない。……
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
わたくしは前に紀行を抄して、妻は門田もんでん氏、だん養助は万年と註して置いた。万年は茶山の弟汝楩じよへんの子で、茶山の養嗣子である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
今大和の法隆寺村に隠棲してゐる北畠治房だん狂人染きちがひじみた眼の色から顎髯あごひげの長く胸元に垂れかゝつた恰好を、ある洋画家がひどめ立てておいて
だん」はこれが近ごろの癖なのである。近ごろとは、ポーツマウスの平和以後の冬の初めのころを指さす。
号外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
富豪かねもちロスチヤイルドだんが熱病でひどく苦しんだ事があつた。ちやうどだんが七十五歳の折の事で、としも齢だから老人自身はとても助からないものと絶念あきらめて
女子薫子の父若江量長は伏見宮家職の筆頭で、殿上人てんじやうびとの家格のあつた人である。この若江氏はもと菅原氏で、その先は式部しきぶ権大輔ごんのたいふ菅原公輔のだん在公から出てゐる。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
今夜も「だん」がノッソリ御出張になりました。「加と男」とは「加藤男爵」の略称、御出張とは、特に男爵閣下にわれわれ平民ないし、ひらザムライどもが申し上げ奉る、言葉である。
号外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
何故といつて、いつかも後藤新平だんが内務大臣をしてゐた頃、自分は借金に困つてゐるからといつて、三百円ばかり大臣の手から貰つた事がある位だからと。
保己一ほきいちだん四谷よつや寺町てらまちに住む忠雄ただおさんの祖父である。当時の流言に、次郎が安藤対馬守信睦のぶゆきのために廃立の先例を取り調べたという事が伝えられたのが、この横禍おうかの因をなしたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
出すか、出さないか、それは当つてみない事には判らないが、然し僕の見た所では、君の主義とだんの主張とはたしかに立場が違つてゐる。それは確に違つてゐるよ。
独美が厳島から大阪にうつった頃しょうがあって、一男二女を生んだ。だんは名を善直ぜんちょくといったが、多病で業を継ぐことが出来なかったそうである。二女はちょう智秀ちしゅうおくりなした。寛政二年に歿している。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
頃日このあひだ亡くなつた岩村透だんは、平素ふだんから自分を巴里パリー仕立したての結構な美術家だと信じてゐた。正直なところ、巴里仕立の美術家にしては、岩村男は全くが下手だつた。
実業家は冷めた盃をふくみながら、是公氏が何を泣いてゐるのだらうと色々想像してみた。後藤だんが新聞記者にいぢめられたからといつて泣く程の是公氏でもないと思つた。
なか/\談話はなし上手で石黒忠悳だんなどは、肺病の黴菌ばいきんは怖いが、それでも矢野の談話はなしだけは聴かずには居られないといつて、宴会の席などでは態々わざ/\自分の膳に手帛ハンケチかぶせてまで
ぢぢむさいさなぎが化けて羽のきいろい足長蜂となると、尻つ尾の先に剣をつけるやうに、中村雄次郎だんは、満鉄総裁から関東都督に職業替へをしたばつかりに、一旦予備役よびえきになつた身で
だが、石井柏亭氏後方うしろにも岩村とほるだんといふ茶目が控へてゐる。