丹念たんねん)” の例文
彼は又旅行案内をひらいて、細かい数字を丹念たんねんに調べしたが、少しも決定のはこび近寄ちかよらないうちに、又三千代の方にあたますべつてつた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
箪笥たんすの上に興録こうろくから受け取ったまま投げ捨てて置いた古藤の手紙を取り上げて、白い西洋封筒の一端を美しい指のつめ丹念たんねんに細く破り取って
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
それは警戒を充分にして、この装置で丹念たんねんに赤外線男を探しあてようというのです。深山さんに白丘さんと、お二人に来て貰って取付けました。
赤外線男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「ええ、ええ、それは申すまでもございません。へえ、毎朝お蔵から出して台へ並べる時に、手前自身で紅絹もみきれ丹念たんねんに拭きますんで、へえ。」
俊助しゅんすけはこう云う図書館の窓際の席に腰を下して、さっきから細かい活字の上に丹念たんねんな眼をさらしていた。彼は色の浅黒い、体格のがっしりした青年だった。
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
その一個の月明石ムーン・ストンの首掛けへ一日の祈念を凝らし、それから、長い時間を費やして、丹念たんねんに鼻眼鏡をみがく。
ヤトラカン・サミ博士の椅子 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
私は自分の「美しい村」のノオトとして悪戯いたずら半分に色鉛筆いろえんぴつでもって丹念たんねんに描いた、その村の手製の地図を、彼女の前にひろげながら、その地図の上に万年筆で
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
彼女は、彼の首のまわりへタオルをきつけ、母親の手際てぎわ丹念たんねんさとを示す。一方の手で髪の毛を押し分け、もう一方の手で軽くくしを取り上げる。彼女は、捜す。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
母が十七八の時に手写したと云う琴唄の稽古本けいこぼんを見たことがあるが、それは半紙を四つ折りにしたものへ横に唄の詞をつらね、行間ぎょうかんに琴のしゅ丹念たんねんに書き入れてある
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
白粉刷毛おしろいばけったおせんのは、名匠めいしょう毛描けがきでもするように、そのうえ丹念たんねんになぞってった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
こうして丹念たんねんにつくったご馳走ちそうを、同じ血へ浸したわらづとの中に入れた。それを持ってカランポーの谷を一じゅんし、一キロおきぐらいに一つとずつを草のあいだへおいてきた。
あのくちばし丹念たんねんに、這奴しやつむねはらのこりなくむしつて、赤裸あかはだかにしたところを、いきみをくれて、ぬぺらとして、葉隱はがくれに……へたばる人間にんげんをぎろりとにらんで、噴飯ふきだよし
月夜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
まず着物をはがし、襦袢から着物、帯にいたるまで丹念たんねんに調べて見たが、そこにはなんの不思議もなかった。背中に書いてある『抱茗荷だきみょうがの説』とは、結局相剋そうこくする双生児の伝説に違いない。
抱茗荷の説 (新字新仮名) / 山本禾太郎(著)
いねが生きている時は、寝たままでも、その要所要所を丹念たんねんに見てくれた。そして先生にほめられたところは念を入れて先生と同じようにほめてくれた。だが男親には、けんざきが何やら判らない。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
石の上に白髪かきたれ描くはちす丹念たんねんなれどそこばくの金
雀の卵 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
裁縫しごとをするそばの火鉢で、丹念たんねんに煮物をする。
女中訓 (新字新仮名) / 羽仁もと子(著)
一間一間、丹念たんねん
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
離縁状と交換に磯五の手に証文の束が渡されると、磯五は、にやにやしながら、それを片ッ端から丹念たんねんに破きはじめた。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
此間このあひだはら御母おつかさんがて、まあ貴方あなたほど氣樂きらくかたはない、何時いつても萬年青おもとばかり丹念たんねんあらつてゐるつてね。眞逆まさかうでもいんですけれども
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
自分は現在蟇口がまぐちに二三円しかなかったから、不用の書物を二冊渡し、これを金にえ給えと云った。青年は書物を受け取ると、丹念たんねん奥附おくづけしらべ出した。
子供の病気:一游亭に (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
その絵が決して上手じょうずではないこと、——ことに私が丹念たんねんに描き過ぎた立派な口髭のために、かえって変てこな顔になってしまっていることは、私自身も知っていた。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
そして紙片の上には、むずかしい数字の式が、まるでありの行列のように、丹念たんねんに書き込んであった。
りかえたばかりのようなよごれ目のないのが貼ってあって、ちょっとした小さな破れ目も花弁型の紙で丹念たんねんふさいである。それがみ切った秋の空気の中に、冷え冷えと白い。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
葉子は小さく舌打ちして、為替ごと手紙を引き裂こうとしたが、ふと思い返して、丹念たんねんに墨をすりおろして一字一字考えて書いたような手紙だけずたずたに破いてくずかごに突っ込んだ。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
お高が、縁側へ古い手紙類を持ち出して、一応眼を通したのち、一つひとつ丹念たんねんに破いているところへ、玄関に人声がして、国平が取り次ぎに出た。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
男は少しり身になりながら、チョッキのポケットから、紫の打紐うちひものついた大きなニッケルの懐中時計を出して、丹念たんねんにそれと時間表の数字とを見くらべている。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
は大きな花のうへに落ちてゐる。代助はこゞんで、花のなかのぞき込んだ。やがて、ひよろ長い雄ずゐいたゞきから、花粉くわふんを取つて、雌蕊しずゐさきへ持つてて、丹念たんねんけた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
課長は、焼跡を丹念たんねんに調べた。
鞄らしくない鞄 (新字新仮名) / 海野十三(著)
しまいに自分一人で食べると云って、千代子の手から匙を受け取った時、彼女はまた丹念たんねんに匙の持ち方を教えた。宵子はもとよりきわめて短かい単語よりほかに発音できなかった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
父は気の毒にも丹念たんねんに死と云うものを説明し出した。が、父の説明も少年の論理を固守こしゅする彼には少しも満足を与えなかった。なるほど彼に殺された蟻の走らないことだけは確かである。
少年 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
かと思うと今度は丹念たんねんに火鉢の灰をかきならしている。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
その本は大分丹念たんねんに使用したものと見えて裏表うらおもてとも表紙が千切ちぎれていた。それを借りたときにも返した時にも、先生は哲学の方の素養もあるのかと考えて、小供心こどもごころうらやましかった。
三階の窓から見下みおろすと、狭い通なので、門前のみちが細く綺麗きれいに見えた。向側は立派な高塀たかべいつづきで、その一つのくぐりの外へ主人あるじらしい人が出て、如露じょうろ丹念たんねんに往来をらしていた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)