“じゆん”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ジユン
語句割合
35.0%
12.5%
10.0%
7.5%
7.5%
5.0%
5.0%
5.0%
2.5%
2.5%
2.5%
2.5%
2.5%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
日本につぽんもつともおほきく生長せいちようするはくすの第一だいいちで、ぎはすぎ、たいわんさわら、いてふ、しひ、まつといふじゆんになります。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
平次は茂十に案内させて、庭から材木置場を一じゆんし、それから塀の外の御朱印の傅次郎の死骸のあつた場所を見ました。
修業しうげふじゆんならず駁雜はくざつがくこのむ、これ中等ちゆうとう
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
下され五十兩には百五十石三百兩ならば千石其餘は是にじゆんじて宛行あておこなはるゝ思召なりれば各々方おの/\がたも今の内に御用金を差上られなば御直參ぢきさんに御取立に成樣師檀しだんよしみを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
立去三人道を急ぎ同月下じゆん美濃國みのゝくになる常樂院へちやくし案内をこひ拙者せつしやは伊豫國藤が原の者にて赤川大膳と申す者なりまゐりしおもむき取次玉はるべしといふ取次の小侍こさむらひは早速此事を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
山陽の歿後京都の頼氏には、三十六歳の里恵、十歳のふく、八歳のじゆん、三歳のやうが遺つてゐた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
しかし、三四年前に半年あまり一しよはぎじゆんだんの高弟(?)となつておほいに切琢磨たくましたのだが、二人とも一こう力がしん歩しない所までてゐるのだから、いさゝ好敵こうてきぎるきらひもある。
其外そのほかの百姓家しやうやとてもかぞえるばかり、ものあきないへじゆんじて幾軒いくけんもない寂寞せきばくたる溪間たにま! この溪間たにま雨雲あまぐもとざされてものこと/″\ひかりうしなふたとき光景くわうけい想像さう/″\たまへ。
湯ヶ原より (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
「十五日。(じゆん十月。)晴。日暮雨。殿様昨夜鞆津ともつへ御著船被遊、今九時御帰藩被遊候に付、平服に而御祝儀出勤。」阿部正桓まさたけの帰藩である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
中のじゆん二月を隔てて、三月二十八日に凹巷が伊勢から来た。凹巷は「命駕我欲西、好侶況相追、君亦出都門、望々幾翹跂」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「はやらぬ時はあり。はやる時はなし。晋帥骨相之屯もおもふべし。」これは六三の「即鹿无虞」あたりからじゆんに説き到つたのであらう。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
長子ちやうこ刀自の話に、狩谷棭斎が京都加茂神社の供物台そなへものだいを得て蘭軒に贈り、伝へて榛軒、柏軒、磐、津山碧山、長門の人矢島じゆんに至つたものがあると云ふ。恐くは是であらう。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
(六四)君子くんしをはりてしようせられざるをにくむ。(六五)賈子かしいはく、『(六六)貪夫たんぷざいじゆんし、(六七)烈士れつしじゆんし、(六八)夸者くわしやけんし、衆庶しうしよ(六九)せいたのむ』
おもふに皇を尊び公にじゆんずる心の強い邦人の常情として、初めは尋常におとなしく日を送つて居たのだらう。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
つめたくぬるぬるしたじゆん菜とから組成され
『春と修羅』 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)