“麗景殿”のいろいろな読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
れいげいでん | 66.7% |
れいけいでん | 33.3% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
入内の後は、大宮は、麗景殿に住み、遊び好きで、政治の嫌いな天皇に、何かと政務を見る事をすすめていたという。変則な時代の犠牲者とも言える女性の一人である。
“麗景殿”の解説
麗景殿(れいけいでん)とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。転じて、麗景殿を賜った后妃の称としても使われる。後者が女御の場合は「麗景殿女御(れいけいでんのにょうご)」とも呼ぶ。
七殿の中では、弘徽殿についで格式の高い殿舎とされ、中宮・女御などが居住した。宣耀殿の南、昭陽舎(梨壺)の北西。
麗景殿を賜っていたのが知られるのは、
村上天皇女御・荘子女王(中務卿代明親王女) - 「麗景殿女御歌合」を開いた
円融天皇中宮・藤原媓子(藤原兼通女)
円融天皇女御・尊子内親王(冷泉天皇皇女、のち承香殿へ移転)
花山天皇女御・藤原姚子(藤原朝光女)
三条天皇東宮女御・藤原綏子(藤原兼家女)
後朱雀天皇皇后・禎子内親王 (三条天皇皇女)
後朱雀天皇女御・藤原延子(藤原頼宗女)
白河天皇中宮・藤原賢子(源顕房女、藤原師実養女)
(出典:Wikipedia)
七殿の中では、弘徽殿についで格式の高い殿舎とされ、中宮・女御などが居住した。宣耀殿の南、昭陽舎(梨壺)の北西。
麗景殿を賜っていたのが知られるのは、
(出典:Wikipedia)
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