青松寺せいしょうじ)” の例文
手下のかずも五十人はくだるまいというンですが、どうして伏鐘というかというと、まだ若いころ芝の青松寺せいしょうじ鐘楼しょうろう竜頭りゅうずがこわれて鐘が落ちたことがある。
顎十郎捕物帳:13 遠島船 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
例えば芝愛宕下しばあたごしたなる青松寺せいしょうじの前を流れる下水を昔から桜川さくらがわと呼びまた今日では全く埋尽うずめつくされた神田鍛冶町かじちょうの下水を逢初川あいそめがわ橋場総泉寺はしばそうせんじの裏手から真崎まっさきへ出る溝川を思川おもいがわ
「原田さんの御家老で堀内惣左衛門という人を知っているでしょう、あの人が青松寺せいしょうじのところで待っているんです、それからさきはどこへゆくのか、私は聞いていません」
しば青松寺せいしょうじで自由党志士の追悼会のあった時のことである。その日、山田三造は追悼会に参列したところで、もうとうに歿くなったと云うことを聞いていた旧友にひょっくりった。
雨夜続志 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
葬式とむらい愛宕下あたごした青松寺せいしょうじで営みまして、やがて式も済みましたから、文治は※※かみしものまゝ愛宕下を出まして、亥太郎、國藏、森松の三人を伴い、其の他の見送り人は散り/″\に立帰りました。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)