長久手ながくて)” の例文
長久手ながくてという地名が実は短いくて、即ち湿地をしか含まぬということもあり得るので、こういう一見して意味の判るものはよいが
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「三好勢は、とくに、長久手ながくてから総くずれに逃げ去ったのに、どうして、秀次の家来たる土肥権右衛門が、池田勢のなかにいたのだろう」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長久手ながくての大勝利が、つよく伝えられていたので、帰還した将士も、迎える領民も、みな徳川軍の完勝を謳歌おうかして、誇りあった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
軍団は、三縦隊にわかれ、諏訪すわはら平子山ひらこやまのふもと、印場いんばとすすんで、矢田川をこえ、さらに、香流川かなれがわを渡って、長久手ながくての原へかかった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長久手ながくて一帯は、香流川かなれがわの水面もふくめて、うすい弾煙のまくの下に、かばねと血のにおいをおいて、朝の陽も、虹色にけむっていた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうして、長久手ながくての一戦は、池田勝入父子のあせりに大きな敗因があったにしても、秀吉にとって、重大な黒星であったことは、いなみ得ない。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
積善寺しゃくぜんじの砦へかかった細川忠興ほそかわただおき蒲生氏郷がもううじさとらの軍勢は、一日にして、そこを叩きつぶし、千石堀を攻めた秀吉のおい、秀次も、去年、長久手ながくての合戦にこうむった汚名を
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)